おじいさんとの対話 12   免疫と抵抗力&薬毒の効果と夜昼転換論

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著者: おおさき あきお

himaari:いつもおじいさんのお話では「逆療法を行わなければ」という言葉が出てきますね。それでは「放って置く」ことになりますよね。医学的治療を逆療法と言うのでしたら、本当の治療は「何もしないで放っておく」という意味になりますけど。

浄化を邪魔するのが医療

おじいさん:当然、治癒の柱は自分の自然良能力が行っている浄化作用じゃからね。それを「邪魔する医療」だとしたら、「逆療法」となるね。しかし、「浄化作用を応援する療法」であったら、取り入れればよいわけじゃ。

himaari:なるほど、浄化作用の邪魔をしないという事は医学的治療を指しているわけか。

しかし「何もしない」ということが僕にとっては一番怖いことになります。病気というのは不安なんですよ。反対にお医者さん方では「治療もしないで放っておくと大変な事になりますよ!」と言いますし。

おじいさん:先ほどそれを選ぶのは君だと言ったじゃろうが。しかし、わしの言う「放っておく」というのは「何もしない」のではない。それは元々、人体内に備わっている「内なる医師が治療をする」ことじゃ。その内なる医師が「自然良能力」じゃ。それを邪魔するから「内なる医師に逆らう逆療法」と言うだけの事じゃ。

himaari:理屈は分かっていてもいざとなるとやっぱり不安ですよ。放っておくというのはどうも出来ませんから。

おじいさん:しかし病気そのものよりも「放っておく事が大変悪いことだ」という一種の脅しになってしまうのじゃろう。人間はその不安感が健康に対して馬鹿にならないからね。

himaari:そうですよ。「放っておくと言うことは悪くなる一方だ」と皆誰もが思っています。特にお医者さんという専門家が思っているのですから、言われれば信じてしまい怖くなるのは当たり前ですね。

おじいさん:「放っておくと重くなる一方」と「死んでしまう」という思いが強くなるのは当然じゃね。なかにはそういう人も居るからじゃ。

himaari:「放っておいたら死んでしまった」事がいくつかあればそう思いますね。でも、全部がそうでも無いんだけど、少しでもそういう例があるわけですから。

おじいさん:どちらが有利であるかは、君たちが研究して結果を得ることじゃな。わしが決める事では無い、ただわしの意見として話しておくだけじゃよ。

himaari:そうですね、医療の方でも結果が出ているわけですし。でも、その医療ではない方の結果が非常に少ないというのは、比較できませんね。

おじいさん:それは君たち人類がこれからやれば良い。最後は結果が良いか悪いかで判断する事になる。わしは自然良能力の方が上だと考えているが、医学では自然治癒力という言葉が無いに等しいじゃろから、放っておくのは悪だとするのじゃろう。

himaari:放っておくのは悪だと言うのは一般人の方が強いかも知れませんね。もし薬を拒否したりするととんでもない人間に見られたりしますよ、今でも。

おじいさん: その不安が出発点となってありとあらゆる浄化停止の医療が行われるのはわかったじゃろう。医学の基本的な考え方はそこにある。「病気は悪化作用」と「自然良能力が無い」とする二つの主因から、「薬信仰」が産まれたのじゃろう。

himaari:「薬を飲まなければ治らない」というのが始まりで「薬信仰」が出来たのでしょうが、まさか「薬が毒であるから、病気を造る」などとはとても思えない。しかも「症状停止」という効果があるからなおさらの信頼してしまったわけか。

薬信仰は世界人類共通

おじいさん:それが長い期間だったからね、「薬信仰」が完全に人類共通の常識になってしまったのじゃ。もちろん医学的治療は善意で行われる。それがことごとく「逆療法」だったとしたら、動機が善意であっても結果としては悪い。「善意の悪行」になりかねない。その方がむしろ怖いと思わないかね。

himaari:そうか、「善意でやっている」からですね。良くしようと思ってやるのが、勘違いしているから結果が悪いのか。でも逆結果を生み出しているとしたら大変な間違いですよ。誰もそれに気がつかないとすると悲劇ですね。

善意の悲劇

おじいさん:善意の悲劇という事になる。しかも世界中ほとんどの人間が信じているとしたら大悲劇じゃね。

himaari:おじいさんの時代もそうだったのでしょうが、今でもほとんど同じですね。さて、どちらの話が本当なんだろう? また迷うところですね。

おじいさん:大いに疑問を持つ事じゃ、どちらもね。わしの説を採ると現代医療は根本から出だしから勘違いして成り立ったのだから、いずれは大きな壁にぶち当たる。

himaari:もしも医学が大きな間違いで成り立っているとしたら、確かにそういう事になりますね。反対に大きな壁などに当たることも無く、順調に進歩して行くのならおじいさんの話はすっ飛んでしまいますね。

おじいさん:そういう事じゃ。医学が進歩して病気が段々軽く少なくなるのが結果として出るからね。わしの言うことは医学の基本中の基本が勘違い、間違いであると言っているのは分かるじゃろう。 だからこそ病気の原因と原理の解明が非常に大切なのじゃ。

原因も原理も知らないでむやみやたらに「かずうてば当たる式」の治療を行っていたんだが、身がいくつあっても足りないじゃろうが。

himaari:おじいさんの説を聞くとそうとも思え来ますね。病気になれば藁をもつかむ心境になりますから、一生懸命治療するわけです。それがもしも間違った逆療法だったとしたら。

おじいさん:医学では対症療法だから何でも症状を停止できるならそれで良しとする考えじゃ。その治療が適切かどうかなどは二の次で先ずは症状を緩和することが先になる。しかもその治療に毒成分であるものを薬として用いるのだからね。ほとんどの病気を外から入ってくるものを病原とするから、病原をやっつける、叩くというやり方じゃ。しかし、それは真の原因では無いと話したね。

himaari: 病気の原因も分からずにどうして治せると思うのでしょうね?だからほとんどの病気の原因を細菌やウイルスのせいにしてしまうんでしょうか?分からないにしても何とか原因らしきものに出来ますからね。

おじいさん:真の原因とは人体内の毒素、これはどんな人であっても必ず先天性及び後天性毒素を多少なりとも保有している。

himaari:生まれながらにして親から受け継いだ毒素を先天性毒素と言いましたね。で、生まれてから取り入れた毒素を後天性毒素と言いましたね。

おじいさん:その毒素とは凝縮固結している場合は血流を障害したり、凝りの原因ともなる。これが溶けて出る状態は毒血とか膿ということになる。

himaari:それが皮膚の発疹とか下痢とか出血とかになるんですね。

おじいさん:毒素は不断の浄化作用によって身体局部に集められるが、主に神経をよく使う箇所が多い。それが凝りとか多いとそこが機能障害を起こす。

himaari:全体に毒素が回らないようにしているんですね。でも多く集まると、その部分が機能障害になると。

刺激のあるところに集まる毒素

おじいさん:ところが人体が何らかの刺戟を受けた場合、毒素は必ずその部に集注するのだね。これを判り易くいえば彼の灸点だろう。灸をすえるとたちまちその部が紅脹をし、はなはだしいのは化膿さえする。また肉体を殴打、または器物などが当たった衝撃などで、必ずその部が紅脹するだろう。

himaari:なるほど、刺激するところにも集まるんですか。打撃するとタンコブになったり、そこが黒くなったりしますね。火傷(やけど)で火ぶくれになったり、ホッカイロなどでも長時間当てていると低温やけどになるそうですが。

おじいさん:なんだね、そのホッカイロと言うのは?とにかく今話したように、そこに毒素が集中するからである。この理をおし進めてみる時日本脳炎の原因は容易に判るはずだがね。

himaari:やっと日本脳炎の原因に入りましたね。と言うことは、何かの刺激で頭に集まるのかな?

おじいさん:そういう事じゃ。刺激したその部に毒素が集中してくるので赤く腫れたり、膿になったりする。

himaari:打撲するとあまりきれいな血液でなく、どす黒い血が集まりますね。皮膚の下が黒ずんで見えますよ。でも、それと日本脳炎に関係はあるのでしょうか?別に頭を殴られたりするからでもないのに。

おじいさん:君は剣道でよく頭を殴られていた様じゃが。しかし、日本脳炎での刺激とは打撲などではない。子供はほとんど帽子をかぶらずに炎天下で遊ぶことが多いだろう。特に六歳から十歳位までは右の傾向が多い。そのために頭脳が太陽によって熱することになる。

himaari:僕の頭の刺激は今でも影響しているようで、あの頃は貧乏クラブなので古い防具の綿が抜けていて薄かったんで・・・・あ、そういう事じゃ無くて。僕も昔はよく炎天下で遊ぶこともありましたね。

おじいさん:それが、ちょうと灸をすえると同様の効果になる。その場合、人体の背部一円にある毒素が頭脳へ向って集注運動をおこすことになる。

himaari:脳天にな灸をすえるようなものかな。運動もしているから体の中で毒素の浄化作用も起こり易いのもあるだろうし。運動するとよく浄化すると言いましたよね。血の巡りも良いので毒素も移動し易いのでしょうか。体液中の毒素はその熱く刺激された頭脳へ向かって集溜して行くんですね。

おじいさん:その何よりの証拠は、発病と同時に両側延髄附近は棒のごとく硬化し高熱が伴う。これは毒素が頭脳を目がけて進行し、一歩事前に一時的集溜することになる。次に毒素は小脳に向って侵入運動を起すや睡眠状態におちいる。つまり脳の麻痺状態を起こすのじゃ。

himaari:それは大変だ。毒素進入によって脳が麻痺させられてしまうとはね。そんなに子どもの頃から毒素があるとは思えませんでした。

おじいさん:しかしここに大きな問題が出てくるのは先ほど話したように、医療は必ず氷冷を施すからこの氷冷の作用で毒素は固まってしまう。言い換えると、「自然に出すべきものを出さないようにする。」さらに言えば「治るべきものを治さないようにする」のじゃ。

himaari:え、治るべきものを治さないようにするって?でも、冷やさないで放っておくとしたら、その毒素はどうなるんですか?

おじいさん:この場合吾等の○○をするや、毒素は小脳から頭脳を通過し、両眼及び鼻穴から排泄し始めるのをみても明らかだ。そして重症程それが多量である。普通二、三日で出尽しそれと共に快癒する。実に簡単である。先ず一週間以内で例外なく全治するのである。その結果発病以前より頭脳明晰となり、学童などは必ず成績可良となる。右は一点の誇張もなく事実ありのままの経路である。

himaari:それはおじいさんの最盛期というか、その療法がかなり効いていた時代の話でしょう?いまそれを言われても同等のものがあるのかも分かりませんし、おじいさんの誇るその○○療法を抜きにして解説していただきたいのです。病気解明から少し離れますので。

おじいさん:そうじゃな。この療法が無くても説明は出来るが、そうなると放置療法となってしまうがそれでも解説は出来る。しっかりと浄化作用の原理をつかんでしまえば、後はそれに合った方法を採れば良いだけじゃろう。

「血液中の毒素はいったんは熱で刺激された頭脳に一時滞留するが、氷冷などの逆療法を行わなければ、自然に脳を通り、目や鼻から排泄されてゆく。ところが、医学においては病後頭脳が悪くなり、軽度の痴呆症状や手足の障害等、種々の禍根を残すのでおそれられるのである。」

himaari:ただ自然にしていた方が毒素は脳を通って下降するというわけですか。それを冷やすからそこで止まって固まってしまうという。すると脳性麻痺という症状が固定してしまうのかな。冷やすということがそれだけ悪い結果になるとは思いもしませんね。高熱は冷やすというのは昔からの常識ですね。しかし、高熱を冷やさないというのはとても勇気が要りますね。だって放っておくとそれこそ脳性麻痺という事になりかねません。

高熱を冷やすとかえって危険

おじいさん:結果は逆なんじゃが、高熱を恐れるあまり出るべき毒素を頭の箇所で固めてしまう。自然作用は時間がかかっても毒素排除を続けるのだが、それを止めたらその箇所で固まるから障害が起こるわけじゃ。ただ、自然放置では時間がかかるという事は不安が増す事になる。その心配を取り去るためには速やかに治るのが先決じゃ。そのため先ほどの療法を出したのだが、それが無くても然良能力に逆らわない方法ならそれにこだわる必要も無い。

himaari:時間がかかるとやはり心配ですからね。早急に手当てしようとするのが普通でしょうね。まさか逆療法だとは考えもしないでしょう。

おじいさん:冷やした後の結果が悪いというのは、前述のごとく自然に排泄されるべく毒素が小脳を通過せんとするや、氷冷で固めてしまうからだ。そこで固結した毒素は頭脳活動の障害となるからじゃ。こうして日本脳炎は恐ろしい病気だと認識されてしまったのだろう。医学という善意の行為が実は自然の摂理に逆らうという結果じゃ。この事は日本脳炎ばかりではないのだが。

himaari:専門的な複雑な知識などよりも、まずはこの自然浄化作用という原則が理解できないと駄目ですね。不安や恐怖心が先に来て、やることが逆療法になってしまうと結果が悪い。だから怖い病気と思い込んでしまうのかな。

おじいさん:これは医学関係者だけの責任にすることはできないのじゃ。「医学」という学問知識であり、「医療」とは「学問や学説」に基づいて行う「治療行為」だからね。その「学問」を作り上げたのは今までの人類の積み重ねて来た共同作業の様なものじゃ。先ず「病気は悪化作用」という思い込みがあり、その治療方法に「薬」という「毒」を用いた事から始まったのじゃ。

himaari:なるほど、今の医学は人類全体で創りあげたのか。みんなの信頼で成り立っているわけで皆がこれを信じている。だけど最初に勘違いしてしまったのか。その積み重ねが医学とすると、勘違いの医学ですか。

症状緩和が治癒では無い

おじいさん:「薬」という「毒」で一時的にも「症状停止が出来た」というのが視点を誤らせた。つまり「症状緩和の方法が病気を治している」という錯覚じゃな。症状は付属的なもので、病源は体内毒素、体液の汚れ血液の濁りだから、その浄化作用を悪く取った事じゃ。目的駅の方角を逆に進んでしまった列車のようなものじゃ。

himaari:なるほどね。医学の目的駅とは「人類の健康」という「幸福駅」だとすると、線路の方向を間違えたばかりに、駅から反対方向に離れて行ってしまうのか。それが近代になってから、物質科学の進歩に合わせてスピード・アップしてしまった。ところが逆方向なのだから進めば進むほど目的駅とは違う様に見えてきたのでしょうか。それが癌等の重い病気が増え、薬剤耐性菌の出現等、幸福駅どころか反対方向が見え始めて来たわけですね。

おじいさん:医学の走っている方向は、進めば進むほど目的駅とは反対方向じゃから、「医学が進歩する」という事は「目的駅から遠ざかる」事になる。ところで、医学の究極の目的とは何だね?それが結果として出るとしたらどうなるのかじゃ。

himaari:えーと、大きな立派な病院があちこちに建ち、お医者さんもどんどんと増やして医療に万全の体制が出来ることでしょうか?

おじいさん:君はなにを寝ぼけたことを言っているんじゃ。ここまで聞いてきてまだ頭に入らないのかね。君も日本脳炎かね。

himaari:え、違うのですか? では、手術の進歩で臓器移植とか、最新の分子生物学の研究でがん細胞だけ攻撃できるとか、免疫療法とか、現代ではips細胞とかで再生医療が進歩して・・・・

おじいさん:今までどれだけ繰り返して話したか分かっているのかね、君は。いいかね、医学の究極の進歩は医者も病院もほとんど必要無くなるという事じゃ。もちろん、薬などもじゃ。

himaari:え、それじゃ医学の必要がなくなるという事じゃないですか。じゃあ病気はどうするんですか?

おじいさん:だから君は脳天気だと言うんじゃよ。医学の目的駅は何だと言ったかね。人類皆健康、そうなれば病院も医者も必要なくなるじゃろうが。

himaari:そうか。文明が進歩するほど要らないものが出てくる訳か。と言うことは、それが必要だという事は文明は進歩していないってことか。

本当に進歩したら要らなくなる

おじいさん:人類が本当の文明人となれば医者も病院も警察も法律も要らなくなるじゃないか。法治国家などと言っても法律や警察で取り締まっている内は野蛮国家という意味じゃよ。法律がたくさん必要だという事はその国の人間がまだ野蛮だという意味になる。

文明国家になるほど、医者も要らなくなる、宗教も要らなくなる、法律も警察も必要なくなる。もちろん軍隊なども要らなくなる。これらは野蛮であるが故必要なものじゃろうが。しかもこれは人間が最終目標にする姿じゃろうが。

himaari:あ、たしかにそうなりますかね。そうなると、医学の進歩とは医者も病院も要らなくなるのが理想という訳か。医学の進歩で皆健康になり、ほとんど病気も無くなるから医者も病院も暇になる。

真の医学の進歩とは医者も病院も要らなくなる

おじいさん:それが医学の進歩というものじゃ。そうなれば、薬も要らなくなるし、手術の技術など問題外となろう、検査機器などもほとんど要らなくなる。世界中の医学研究者達お暇で職を失うだろう。なにしろ肝心の病気が無くなるんじゃからね。それが医学の進歩の究極と言えるじゃろう。そこに一歩一歩づつでも近づいているとしたら進歩じゃよ。

himaari:なるほど、それは理想ですね。重い病気も亡くなりせいぜい風邪くらいで済んでしまう人間ばかりになれば、医療関係の仕事は激減して、世の中はその関係の仕事は大不況になってしまうから大変ですね。

おじいさん:医療産業そのものは何も生産しているわけじゃない。不況になった方が社会全体としての利益になるのじゃから。医師不足、病院不足などと言う事は逆を行っているから進歩していない事の証拠じゃ。それどころか目的から遠ざかっている。

himaari:医療費もどんどん増えていますしね。進歩しているのなら少しずつでも医療費が減るのが本当ですね。医学の進歩で病気の発見が進んだと言われますが。

おじいさん:発見ばかりしても、それが治癒や健康に繋がらないと意味が無い。少しでも高所から眺めてみれば誰でも簡単に理解できるじゃろう。それが分からないとしたら「迷信」を信じている様なものじゃ。

himaari:「迷信」ですか? でも、おじいさんの方も迷信だと言われていますよ。

おじいさん:見える事を素直に見る事から始めるのだね。そろそろ気づき始める時期じゃろう。

himaari:なんだか、日本脳炎からとんでもない話へ飛び火してしまいましたね。

おじいさん:ついでだから脊髄脳炎も解説することにしよう。

これは日本脳炎の一歩手前といってもよく、毒素は延髄部だけに集注固結する。なぜなら冬に起る病気であって、それは頭脳を夏季のごとく、炎天下にさらさないからだ。

しかしこの症状は、延髄部が日本脳炎よりも固結が甚だしく、首の前後の運動は全然不可能となる。という事は日本脳炎のように毒素が小脳に移行されない。

himaari:首が回らなくなるというのは時々ありますね。そうなると僕もけっこう毒素が多いんですね。

おじいさん:ふむ、君のはほかの原因もあるのじゃ無い金?

 以上によってみても日本脳炎は蚊とは何等関係がなく自然浄化作用である事を明らかに知るであろう。

himaari:おじいさんの説はよくわかりました。蚊が悪い、豚が悪い、鶏が悪い、牛が悪い、細菌が悪い、ウイルスが悪い、やれアイツが悪い・・・なんでも他のせいにしてきた僕が病気の原因を持っていたとはね。謹んで僕の体をきれいにしてくれる生命の働きに感謝致します。細菌さん、ウイルスさん、今まで済みませんでした。そして、今後ともよろしくお願い致します。ありがとうございます。感謝感激です。

おじいさん:それだけ感謝すれば君の頭脳もかなり改善するじゃろう。だが君の頭脳もあやしいからのう。

最後は嫌みを言われて終了しましたが、今回は幼児に関してのお話から医学の究極の進歩まで飛んでしまいました。


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