『河 岸(カシ)』父親と暮らした記憶がない、半身の私が、人生の旅に出たストーリー

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 姉の中学卒業時や、兄の中学卒業時には、

近くのステーキハウスに、父・母・兄弟3人で、お祝いに食事に連れて行ってもらった事を覚えているが、会話も弾むことはなかったと思う。食事をして「仕事があるから・・・・」と店を出た所で別れた。


 高校に上がると、自分の学費やこずかいを、バイトをして稼いだ。

バイトと遊びで忙しかったせいなのか?お父さんとの思い出も無ければ、会った記憶さえ無い・・・。


 そんな頃、あの綺麗で美しかった京子叔母様亡くなったと、後から聞かされた。

病名は白血病だったようである。

正しく〝美人薄命〟だと思った。

おじい様一家の哀しみの深さは計り知れないだろうと察した。

特に、娘を喪った、おばあちゃんの哀しみを考えると・・・・。

その頃から、お正月でも、おじい様の家や、もう1人のお祖母ちゃんの家にも顔を出さなくなった。



 私が高校卒業後、社会人になると、お父さんの方から、年に一度くらい電話で連絡があり、食事に誘われるようになった。

 その頃から、大人として、扱ってくれた。

 有名ホテルのロビーや繁華街で待ち合わせをした。

お父さんは、必ず待ち合わせの時刻に行くと、片手をポケットに入れて佇んでいた。

「お父さんは、人を待たせた事がない。必ず30分前には待ち合わせ場所に行く」

といつも言っていた。

 普段から、待ち合わせには、ドタバタしながら急いで向かう私にとって、少々うざったいが、崩れや乱れがなく、整然としているお父さんらしい言動であった。

 お父さんと食事に行くと、いつも旨いものを食べさせて貰えた。

お寿司、漁場、ステーキ、鴨など。普段食べた事ない高級なものばかりで、食いしん坊の私には

〝タダで旨いものが食べられる〟贅沢な楽しみだった。

特に、私は、魚には目がない。

帰る際、おこずかいを数万円もらえる事もあった。

帰りはタクシーを呼んで、私を乗せてくれた。車内の窓からお父さんを見て手を振り〝さよなら〟をすると侘しさが残る・・・。

後味の、侘しさを認めたくなく、揉み消すように


〝食べ物やこずかいに吊られて逢うだけなのだ〟


といつも、自分に言い聞かせた。


 お父さんと行く店は、お父さんの行きつけの店であったのだろう。

お店の人は、どの店も、お父さんの苗字を呼んでいた。お店の人は、同伴する私を珍しそうに見るので、お父さんは、

「娘だ!」と、紹介する。

一緒に暮らしている、娘には見えないのではないか?

お店の人に、変に悟られるのではないか?

と気を使いながらも〝娘だ!〟と言ってくれる瞬間が、離れて暮らしていても、子供と認めてくれているようで、満足感に浸れた。

何気ない、その時々の近状を話したり、姉や兄の事を話したりして、食事とお酒を楽しんだ。

場の雰囲気を感じとり、少し冗談を交えながら、たまにしかない時間を、和やかに楽しくしようと私なりに努めた。


 ある日、食事をした後に、お父さんがたまに行く店なのであろうか、落ち着きのあるスナックに連れて行ってもらった事があった。

 お店のママさんが、カラオケを勧めてきた。お父さんは、歌を歌うような人ではなかったし、下手くそなイメージだった。

案の定、お父さんは首を横に振り、私に勧めてきたが、お父さんの前で歌うのに、気恥ずかしさもあり断っていたら、お店のママさんが、

「奥さんは上手じゃない」と言った。

慌ててお父さんは、口に人差し指を持っていき〝シィー〟のポーズをした。

(奥さん?)

私は、一瞬にして理解したものの、気が付かないふりをして、直ぐに、父の年代でもわかるようにと、演歌調の歌を歌ってみせた。

歌い終えると、お父さんは

「上手いけれど、もっと明るい曲を歌いなさい」とこういう感じだ!

私は、反論する気にもなれず、ゆっくりとお酒を口に流し続けた。

少しの沈黙のあと

「お父さんは一緒に暮している女の人がいる。でも、お母さんと別れたのは、そのせいじゃない」

と白状しだした。

「へぇー、そんなんだー」

平然に答えたが、初めて聞く言葉に、気持ちは複雑だった。

「お父さんは、お前達の事を一日も考えなかった日はない。お母さんの事も心配している」

と臭いセリフを言い出した。

お父さんの目を見て、笑顔で冗談まじりに

「お父さん、私達の誕生日しってる?知らないでしょー」

お父さんの目が一瞬止まったのを、見逃さなかった。

お父さんは、私達の誕生日を知らない、

知らないとわかっていながらワザと聞いてやった。

ささやかに、反発するしかなかったが、思いのほか、このパンチは強烈だったと、お父さんの目を見てわかった。

 お互い、酒を煽った。

酒に乱れるような人ではなかったが、少しお父さんの呂律も怪しくなってきた。

「お父さんは、子供の頃は貧乏で、近所の子供が、お祭りに行くのに、行かしてさえもらえなかった」

「お祭り行きたかったの?」

「行きたいさー 子供だぞー 行きたいに決まっとるー」

お父さんの声が張りあがった。

年寄りのよくある苦労話しが始まったかと思ったが、ムキになった声が、お父さんの子供の頃を想像させ可愛く見えた。

「お父さんの人生は、小説もかけるぐらいだぞー」

 今さら、父親に甘える歳でもなく、一人の男の人生として考えるならば、この人も波乱に富んだ人生だったかも?と想像した。

「お父さんが死んでも、お前達は何も考えなくてもいい、お母さんの事だけ考えてくれればいい」

「・・・・・」


ー直感的に

(お父さんの葬式にすら、呼んでもらえないのではないか?)


 お互い酔いすぎたのか、いつになく話しがしんみりしてしまい、店を出た。

繁華街のネオンが歪んで見えた。

並んで歩きながら、お父さんは街路樹に目を向けて

「そこいらの木でも何十年と、生きている。真理の歳より長く生きている。人間なんか、たかだか百年生きられない。振り返れば一瞬だ」

お父さんの話しに黙って頷くものの、私は、お父さんの話しを悟り知るには若すぎた。

 いつものように、タクシーに乗せてもらい、笑顔でサヨナラするが、

直ぐには、家に帰る気にはならず、タクシーの運転手に家とは違う行先を告げ、一人飲み屋に入り、思いにふけり、気持ちが落ち着くまで酒を煽った・・・。



24歳を迎える頃

「おじい様が亡くなった」

と叔父さんから家に電話があり、私達家族は知らされた。

それも、数か月前に亡くなっていると言う。


ー結局、おじい様の葬式には呼ばれなかった。

悲しみもなかったが、言ってくれれば、葬式ぐらい出たのにという思いはあった。

 

 叔父さんに、おじい様の屋敷に来るようにと孫達全員が呼ばれた。

 おじい様の遺産として、孫達均等に、百万円用意されていた。

たぶん、おじい様と暮らしていた、おばあちゃんが孫達にと残してくれていたのだと思う。

叔父さんは

「棚から牡丹餅のように使わないように・・」

と一言忠告したが、

 私はというと、そのお金で、ハワイにしばらく滞在する予定で、仕事も辞め、飛んで行ってしまった。

 ハワイに滞在中、自分のお腹に子供が宿っていることに気づき、帰国を余儀なくした。


 帰国後、お腹の子の父親と結婚する事に決心した。

 おばあちゃんに電話をして、お父さんに連絡してもらうように頼んだ。

お父さんから連絡があり、結婚の報告をし「彼を紹介したい」と話して、お父さんと以前食事をした事があった漁場の店で、会う約束をし電話を切った。


 約束の日、彼と店に行くと、お父さんは、いつもように、先に店の前で待っていた。

店に入り、彼を紹介した。

お父さんは、反対もしなかったし、

「二人で力を合わせてやっていくように」とだけ話し、

彼がどんな人なのか、何をやっているのかなど、あまり詮索する事なかった。

すぐに、お父さんは「結婚式には出ない」と言い出した。

私としても、呼ぶつもりもなかった。

今更、お母さんと同席するわけにもいかないだろうし、母方の親戚に会う事もできないであろう、そんな事は心得ていた。

しかしながら、先に言われると癇に障った。

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