『河 岸(カシ)』父親と暮らした記憶がない、半身の私が、人生の旅に出たストーリー

4 / 17 ページ

「お祝いは出す」

と言ってくれたが、金をせびりに彼に合わせた訳でもなかったが、ここは素直に

「ありがとう」

と感謝し、祝金を後日受け取り、結婚式を挙げる事が出来た。


 おじい様が亡くなってから一年後ぐらいに・。

今度は、叔父さんと暮らしていた、焼肉の美味しかった、お祖母ちゃんが亡くなったと、後から聞いたが、当然、葬式には呼ばれなかった。

無くなる前に入院していた病院は、実家から直ぐ近くの総合病院だと聞いが、

先に言ってくれれば、お見舞いぐらい行けたのに・・・と、その時思った。



 結婚して、娘を産んで一ヶ月後、山に囲まれた自然豊かな町へ引越しをした。

日々の生活や子育てに追われ、お父さんと連絡を取る事はなかった。



 娘が、4歳になり、保育園に通っていた。

保育園に娘を送り届け、慌ただしい、

ーいつもの朝。


家の電話が鳴った。

お父さんからの電話だった。

「今日、そっちに行ってもいいか?」

あまりにも、突然だったが、快く了解した。

(めずらしい・・・)

車で来ると言うので住所を告げた。

急ではあったが、嬉しかった。

3時間ほどすると、本当に来た。

お父さんの車は、ボルボのセダンだった。車のカーナビのおかげで、迷わず来れたようだった。

家に上がってもらった。

上がってもらったと言っても、その頃、我が家は、1階の居間が四畳半しかない、2階建ての長屋に住んで居た。

お父さんは居間に座り、辺りを見渡しながら、

「よく綺麗に片付いているなぁー」

と褒めてくれた。

片づけていないと、人も座れないほどの狭さだ。それに、狭いから片づけるのも、楽なものである。

「この辺りの土地はいくらぐらいするのか?」

「田舎だから、そんなに高くはないと思うけど、わからないなぁー」

「お父さんが出してあげるから、家を買ったらどうだ」

狭い家を見て、気の毒に思ったのか、マイホームの購入など、考えた事もなかった私は、適当に交わしておいた。

ちょうど昼時になり、昼食をどこか近くに食べに行こうという事になり、迷わず

「お寿司が食べたい」

と甘えた。


家を出て、お父さんの車の助手席に遠慮がちに乗り込んだ。

「外車じゃん!」

と大袈裟に驚いてみせた。

外車など、乗るような人ではなかったので、少し意外だった。

「お父さんも歳だから、安全面を考えて。最期の車かも知れないし」

と弁解した。

お父さんの言う通り、車内はエアバッグが所々にあり、安全性が高く感じられた。

埃ひとつ無い内装の綺麗さに、自分の座った席には、いつもは違う人が乗っているのだろうかと気を遣った。


家の近くのお寿司屋に入った。

久しぶりの、落ち着いた外食と、お父さんが、わざわざ来てくれた事だけで、気持ちは満たされていた。

 三つ揃えのスーツ姿のお父さんしか記憶にないが、この日のお父さんの恰好は、上品なポロシャツにスラックスと、初めて見る少しラフな格好だった。

「仕事辞めたの?」

と聞いてみたところ

「お父さんは、退職して、今は、叔父さんと叔父さんの子供が会社の後を継いでやっている」

と聞かされた。

今は、度々、雀荘に行っている。健康の為に、雀荘までの行き帰りを1時間ほど歩いていると言う。

話しの中で

「お父さんは麻雀で負けた事がない」

と自慢のように言い切った。

気迫を持ち合わせている存在感から何となく嘘ではないように思え、

(突然来たのは、麻雀で儲かったのかな?)

とふと思ってみた。

寿司屋の大将に

「この辺りに、良い温泉旅館はないか?」

とお父さんが尋ねた。

「一泊、泊まって行くから、お前達も泊まりなさい」

と言い出した。

こんな機会もないと思い、了解した。

寿司屋の大将に、旅館の二室を手配してもらった。

 私の旦那は仕事中で、娘は保育園に居たため、保育園に連絡をして早退する事を伝えた。

お父さんと二人で保育園に迎えに行き、家から30分ほどの温泉旅館に、お父さんと娘で、先に行ってもらう事にした。

 普段から人見知りをしない娘だったので、何も動じず、初めて逢った、おじいちゃんの車に乗り二人は先に行った。

夕方になり、旦那が帰宅し、事情を説明して二人で旅館に向かった。


 部屋に懐石料理が運ばれてきた。

ゆったりと食事を楽しみ、娘は部屋を歩き回りはしゃいでいる。

お父さんは、孫と手を繋いで来たと言う。二人で一緒に温泉にも入ったらしい。

全く動じない孫に驚いていた。

お父さんの、おじいちゃんらしい姿を見るのは想像もしていなかった。

声を出して笑ったところは、今までに一度として見た事がないが・・・。


何とも言えない、とにかく嬉しそうな顔で孫を見ていた。


初めて見る、微笑んだ優しいおじいちゃんの顔に、私も笑みがこぼれた。

料理も食べ終え、穏やかな時間だった。ほんのり、お父さんの顔が赤らんできた。

「マッサージを呼んでくれ」

とフロントに頼み、お父さんは、別室へ行き、私達夫婦と娘も寝床に入った。


翌朝に、私だけお父さんの泊まった部屋に呼び出された。

「子供に何か買ってあげなさい」

と、十万円渡されたが、

「お金はいらないから、また、会いにきてやって・・・」と断った。

「いいから取っておきなさい」と渡してくれた。


 おじい様が、孫の私達にお金をくれた時には、お父さんは

「子供に、そんなにお金をやるもんじゃない」

ものすごく怒っていた事を思い出し、お父さんも孫には甘いんだなぁーと何となく可笑しかった。



 お父さんが、突然訪ねて来てから1年後には、私も二子の長男を授かり、四畳半の長屋も手狭くなり、近くの戸建ての借家に引越しをした。

 築70年以上の古いボロボロの家であったが、昔ならではの、土間のある大きな家で、裏の畑で野菜を育てたりと楽しんだ。

 保育園は真横で、小学校もすぐ近くにあり、なかなか気に入ってはいたが、玄関先が車の行き交う道路で、子供の危険性は心配していた。


 その数年後、町内で気に入った建売を見つけた。

 当てにしていた訳ではないが、お父さんの言葉を覚えていた。

何とか頭金を借りれないだろうか?

と思い、おばあちゃんを通じて連絡を取ってもらうように頼んだ。

お父さんから連絡があり、事情を話すと

「真理が、気に入ったのであれば買いなさい」

と即答してくれ、直ぐに、頭金を用意してくれた。

私から、最初で最後のお願いのつもりで甘え,

気に入った物件を見つけてから、僅か3ヶ月後には、マイホームに入居する事が出来た。



息子が小学校1年生の頃。

突然に・・・

「僕、おじいちゃんに逢った事がない」と言い出した。

著者のTerashima Mariさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。