『河 岸(カシ)』父親と暮らした記憶がない、半身の私が、人生の旅に出たストーリー
「お母さんの所に、昼間、叔父さんから、ものすごく怒って電話があったらしいわー
子供達には、遺留分があるから請求しない韓との内容だったらしいわー」
兄にも姉から連絡したと言う。
「葬式は?」
「もう、済んでいるらしい」
「三週間ほど前に、珍しく、おばあちゃんから、お母さんの携帯に電話があって、おばあちゃんとお母さんは話しているらしいけど、何にも言ってなかったらしいから、その後じゃあないかなぁー」
「へぇー、よく、おばあちゃん連絡先知っていたねぇー」
「叔父さんから聞いたらしいわ。叔父さんとお母さんは、一応、携帯番号の交換をしていたらしいから・・・・」
「先月の終わりくらいかなぁー」
「ふーん」
「入院していたみたい。癌だったらしいわー」
「私は、遺留分は請求するよ」
と姉に断言し、電話を切った。
私は、兄に電話を入れた。
「聞いた、聞いた」
と兄は言った。私は兄にも
「遺留分は請求したいから」と伝えたが、
驚いた事に、兄は遺留分というものがある事すら知らず、全くの無知であった。
兄自身、父とは喧嘩別れのような形でいたし
「俺は、金はいらん!」と兄は言ったが、
遺留分が、民法で定められている一定の相続人が最低限相続できる財産である事を説明して、長男である兄に託し電話を切った。
姉や兄に話す時は、動じていないように話したが、電話を切った瞬間、涙が溢れた。
ー逢いたかった。
ー哀しい。
最後に話した声が蘇る。
(お父さんは、お前達と縁を切る)
(お前達には財産をやらん)
(なんで、お父さんの言う事が聞けない)
何度も何度も、お父さんの最後の声が蘇り、涙が止まらない。
お金なんて、欲しいなんて思った事なかった。
ーなんで、そんな事言ったの?
ー逢う機会を持たなかった自分だが、生きてさえいてくれれば、逢う機会を持つ事を想う事が出来る。
ー逢おうと想う事すら出来ないのが死んじゃった事なんだ・・・。
ーこの世に居ない事が、ただ、ただ寂しくて悲しくて・・・・。
ー何がなんだかわからない。
なんで、なんで、なんで、なんで、なんで・・・・・。
胸から込み上げて、涙がしたたれ落ちる。
次の日から、会社に、忌引きをもらい休んだ。
別に、葬式があるわけでもなかったが、とても、仕事に行く元気もなかった。
お父さんが、死んだ事は聞かされたが、いつ死んだのか日にちすらわからない。
葬式に呼ばれる事はないかも?と薄々は覚悟していたものの、手を合わせる所もなく、どうして、死んだのかもわからず・・・。
死の知らせの三週間程前に、母に久しぶりに電話を掛けてきてくれた、おばあちゃん。
昔の手帳を探して、電話を掛けてみた。
「お久しぶりです。真理ですが、わかりますか?」
おばあちゃんは、20年程ぶりだったが、声も全く変わらず、とてもパワフルで元気いっぱいだった。
一方的に、おばあちゃんがペラペラと話し出した。
今は、92歳だと言う。
元気なおばあちゃんにビックリすると同時に、安心した。
「お父さん亡くなったってー」と言うと、
おばあちゃんも病気で入院している事も聞かされておらず、夜中に電話があり、斎場の安置所に急いで向かったらしい。
「綺麗な顔だったよー」
記憶にあるお父さんの顔が、安らかな表情であった事が想像出来た。
「おじい様の月命日には、毎月必ず学ちゃん(叔父さん)は来るけど、順司(お父さん)は一度として来たことないわー」
おばあちゃんの話しだと、叔父さんは、ここ数年、体の具合が悪く、思うように動けない状態のようである。おじい様の月命日には、奥さんの介護で、必ず、覗くようである。
お父さんは来たことがないらしいが・・・・。
お父さんの信仰心の無さからくるものか?
それとも、自分が病気になった時、わからないようにと計算して、あえて親類との距離を置いていたのか?
わからない、わからないが・・・。どちらにしても、親父らしいとも感じた。
「あんたの、お母さんのお母さんを、お見舞いに行った時『お母さんを頼む』って泣きながら、手を握って頼まれてね。それが、今でも忘れられないわー」
私の母方の祖母は、私が2歳ぐらいの時に亡くなっているから、私自身、まるで覚えもないが、そんなこともあったんだぁーと思うと同時に、知らない事だらけの自分がいた。
「財産の請求しないかんんよー」とおばあちゃんも言った。
「多分、私達には残してないわー」
「会社のあった、前の土地も、後ろの土地も順司の物だった筈なのにー。あの女は、気のキツイ性格だったから、お父さんは尻に敷かれてたのだわー」
お父さんの奥さんについての印象を初めて聞かされ、おばあちゃんは面識があるのか?
(当然かー)とも思ったが、
キツイ性格?
尻に敷かれていた?
の言葉は、私の中の奥さんの想像とは違い、鵜呑みには出来ないでいた。
結局、はっきりとした命日はわからなかった。
また、それ以上も聞かなかった。
「近々会いに行くから、おばあちゃんも、元気でいてね」
と電話を切った。
叔父さんから母への連絡のおかげで、私達は父の死を知った。
私は、お母さんから叔父さんの携帯番号を聞き、叔父さんの携帯に電話を掛けた。
「叔父さん。真理ですが、わかりますか?」
「真理か。わかるよ」
叔父さんの声は、か細い感じがした。
「お父さん、いつ死んだの?」
「たしかぁー・・・10月1日だ・・・」
私は耳を疑って
「えっ、ホントに?・・・・11月じゃあなくって・・10月・・・・」
「おい、10月だよなー」
電話越しで、叔父さんが奥さんらしい人に確認をしている。
「夜中に電話があって、急いで着替えて駆け付けた。線香一つない。俺はアレに怒ってやったさ・・。俺もこんな身体だ。電話ではなんだから・・・・。一度、家にいらっしゃい 」
「叔父さんは、長生きしてね」と電話を切った。
声には張りがなく、聞き取りにくい、そして悔しそうだった。
叔父さんも、何も知らされず、焼くばかりの弟の姿を見て、さぞ耐え難い思いをしたのだろうか?
無常の思いの矛先が、お父さんの奥さんに向けられたのだろうか?・・・。
命日から、既に一ヶ月以上も経っている。
叔父さんが、母へ、電話で知らせてくれたのも、ひと月以上経ってからしてきた事になる。
その間、叔父さんも、心の整理が出来ずにいたのか?
その間も、悔しさが紛れなかったのか?
それとも、連絡する事を迷ったのか?
命日が間違えなのか?
鵜呑みにするのであれば、私達が知るまで、ひと月以上経っていた事に驚いた。
それに、おばあちゃんが、電話を母に掛けてきたのも、父が死んでからになる。
おばあちゃんは、母に伝えたかったが、言えなかったのか?・・・。
夜、兄から電話があった。
「木曜日に、一時帰国するわ、日曜日の朝にはこっち(中国)に戻るけど」
「私も、その日、実家に帰るつもりだけど・・・」
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