『河 岸(カシ)』父親と暮らした記憶がない、半身の私が、人生の旅に出たストーリー

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兄貴の、お嫁さんのお腹には二子目の子供を授かっていて、来月には臨月を迎える。

「わざわざ、帰って来なくてもいいよぉー」

と言ってみたが、私同様、居ても立っても居られない気持ちなのかとも思った。

「子供が産まれてからでは、何かと帰れない状況だろうから、今なら、数日なら帰れるから」

との後に、

「知り合いの弁護士にあって、どうすればいいか?相談してみる。

今日、コウサイに電話をして会う約束もした」

遺留分について、兄に託したものの・・・

「私は、とにかく遺言状があるのか? その配分を知りたい」

と捲し上げた。


 お父さんの、最後の言葉が蘇り巡る。

本当に、遺産があるとすれば、最後の言葉通り、私達子供には、一円たりとも金を渡す気はなかったのか?

そうは言っても、分け隔てなく残して逝ったのか?

それが一番気になった。


ー金なんかどうでもよかった。

お金でしか、人品骨柄、愛情の度合い、お父さんの心を覗く事ができなかった。


兄は、

「コウサイとの話しで、遺言状もあるらしい。子供達には遺留分は渡すと話していた」

「ふ~ん、やっぱり」

結局、お父さんは、最後に話した

(お前達には財産をやらん)との言葉通りに実行したのだ!

 兄と電話を切った後、姉に電話を掛けて、その事について話した。

姉も、私と想いは一緒で

「あの人のやりそうな事だね」

と静かに納得していたが、想いは複雑だった。


ー結局、私達を恨んで死んでいったのか?

ー私達への愛情はなかったのか?


姉の方にも、兄から連絡があり、姉には、お父さんの奥さんに会うと言ったと言う。

「えっー、私、聞いてないよー、本当にー・・・・」

まさかのまさかである。

私だったら、私だったら・・・・。

とても、会う気持ちにはなれない。

会って何を喋るのだ!

私には、コウサイに会うとは言っていたが、公正書士か公証人役場の人にでも会うのかと思っていた。

「確認してみる!」

姉と電話を切り、直ぐに、兄に電話を掛けた。

「さっきの話しだけど、誰と会うの?」

「だから、コウサイだってー」

少し強めの、面倒臭そうな口調で、言い放った。

「コウサイって誰?」

「オマエなぁー。アトツマ書いて、コウサイと読むんだっ。漢字ぐらい覚えろ!」

逆ギレのような物言いで答えた。

「何しに会うのー」

「電話でも話したが、親父の死んだ経緯や状況を電話で話す事でも無いので、直接あって話しをしたいと俺の方から頼んだ。コウサイの方もかなり渋った様子だったが・・・・、最後には納得してくれて、会う事を承諾してくれた」

コウサイと会う事に疑問を持ったが

「お兄ちゃんが会いたいのであれば・・・」

と渋々電話を切った。

電話を切った後考えた。

( コウサイ??? )

普通は、ゴサイと読まないか???



ー心の整理が出来ない。

と言うか、心の整理が出来ない状況とは、こういうものなのかとも思った。


 兄弟が居て良かった。

 独りだったら何も出来ないであろう。

 身内?という死に初めて直面する。



 何となくはわかっていた。

奥さんが居る。しかも、籍が入っていた。


 何となくはわかっていた。

葬式には呼ばれない事。


 何となくはわかっていた。

遺言状が書かれている事。


 何となくはわかっていた。

遺産は、私達には残さない事。


 遺留分は、兄弟3人なので、12分の1になる。だから、仮に一千万円の預貯金があったのであれば、兄弟1人に対して、約80万円である。

(80万かぁー。無いよりましかぁー)

 私の生活は、借金もある。

家のローン、車のローン、カードローン、税金滞納、共働きの毎日の生活。

共働きで頑張っても、ギリギリの生活。

仮に、三千万円あれば、約250万円。

(そのぐらいあれば、気持ちが少し楽になるかなぁー)


 私にとって遺産とは物 ではなく 者 であった。

 私と父を繋ぐ者は、お金 という 者 でしかなかった。

だから、父の生前から、遺留分は、形見として受け取る気持ちでいた。



 木曜日の夜。

兄も帰国した。

私も、息子を連れて実家に帰った。

とにかく、姉や母の顔を見て安心したかった。見るだけで、少しは安心できるような気がした。


 次の朝、兄弟3人だけで、実家の近くの喫茶店に集まった。

兄自身、後妻に電話を掛けるにあたり、かなり迷ったと言う。

 電話をブチ切られるのではないか?

 金目当てに思われるのではないか?

 そもそも、急にシャシャリ出てきて、電話をして良いものだろうか?

胃も痛くなり、恐る恐る電話したと言う。

恐縮しながら電話をし

「金本順司の長男の金本哲也ですが・・・」

と言うと直ぐに

「中国にいらっしゃる方ですよねぇー」

とわかっていただいたらしい。


電話をした事によって、明らかになった事実。


 父の命日は10月1日。

 十ヶ月程入院していた。

 病気は肺がんだった。

 遺言で誰にも知らせるなとの事。

 葬式も挙げるなとの事。


 父の死んだ時『誰にも知らせるな』との遺言だったらしいが、本当に誰にも知らせないでいいものだろうか?と思い悩み、居ても立っても居られず、叔父さんに連絡をし、駆けつけた叔父さんに激怒された事。

 入院中『車を売れー』『土地を売れー』と言われ、すべて手放している事。

 兄は、お金については、聞きにくい事だったので、話しをするつもりはなかったらしいが、向こう様の方から、遺言状があり、すべて後妻に渡るようにと書いてある事。

 金額までは話さなかったが、遺留分の12分の1を、子である私達3人に行き渡るように、すべて奥さんが弁護士に依頼してあるとの事。

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