「死」が突然目の前にやってきた 〜出会いから看取るまでの2年半の記録

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一刻も早く病院に行って欲しかった。
日に日に痩せていく彼を目にするのは恐ろしかった。



2010年3月1日。

病院へ行く。



2010年3月4日。
検査。
16時12分。職場にいる私にメール着信。


「胃カメラ終了しました。食道ガンです。かなりでかいのが出来ていました。笑うしかないです。」



覚悟はしていた。
どう考えても軽い病気であるわけがない。
症状からして食道ガンじゃないだろうか。
そう思っていた。



手術が必要。放射線治療も、抗癌剤治療も。。お金が必要。。



パソコンで食道ガンを検索する。
ステージ3だろうか。ステージ4であってほしくない。。



とにかく私が治療費を用意しなければ。
私しかいないのだから。。。
腹をくくるしかない。



本人が一番ショックなのだ。気持ちの整理をしているはず。
私は笑って帰ろう。明るく「ただいま」と言おう。
「辛い時こそ笑ってろ」
それが彼の口癖なのだ。





入院


2010年3月12日。
T病院で検査結果を受ける。
診断は、手術が困難なステージ4。
放射線と抗癌剤治療を行っていく。
胃の上部に転移がある。



信じたくない、受け入れたくない思いがあった。
奇跡的に・・・なんてことにならないだろうか。。。
藁にもすがる思いとは、こんな感じなんだろうか。



スーパーに言っても涙が流れる。
スーパーで彼の好みを考えずに買い物をしたことがない。
散歩道を見ても涙が流れる。
「この道を介護されて歩くなんて嫌だぜ」
なんて笑って話していたことが現実になってしまうかもしれになんて。。
いや、介護して歩けるならまだいい。。。
もし・・・・・
ひと目も憚らずに涙が溢れるなんてことが、あるんだ・・・。




入院予定日まで2週間あまりあった。
2週間。持つだろうか。
怖かった。


入院予定日の2日前の朝、吐血。
血を拭き、着替えを渡し身支度を整え、
T病院出身の知り合いに電話し、T病院の救急に連れて行ってもらえるようお願いした。
手が震えた。笑えない。笑顔を作れない。
きっと泣きそうな顔をしている。


彼はエレベーターに乗る前、玄関先に戻ってきて
「大丈夫だ。よろしく頼む。」とハグをして出て行った。


「そのまま入院になると思いますから、準備しておいてください。迎えに来ます。」
感情は乱れに乱れ、涙は溢れ、何を準備したらいいのか考えられない。
入院の準備なんて、生まれて初めてでもないのに。。。
ただ部屋をウロウロするだけで、何も手につかない。



はやく・・・はやく準備しなくちゃ・・・



以前私は病院の医師や看護師が使うシステムを構築する仕事をしていた。
小さいころの遊び場も病院、私自身身体が弱く病院通いもしていた。
小学生のころ母が入院し、毎朝学校に行く前に病院に寄っていた。


冷静になれば何が必要かわかるはず。。


冷静になれ。冷静になれ。
心を乱している時間はないよ。
落ち着いて。何が必要?後でいいものは後でいいから。
今持っていかなければならないものはなに?


バッグに次々と詰めていく。
食べられないのにスプーンまで入れて・・・
後で病室で苦笑されたけど。。



忘れ物がないかとか、そんなことはまったくわからなかった。
知り合いが迎えに戻ってきてくれると、すぐさま外に出た。
「もう大丈夫なんですか?よく準備できましたね。」
あれ。。
わかんないけど、、あれ。。


知り合いは私を病院に下ろすと、また来ますと言って帰っていった。


歩いて15分くらいのT病院。
まるでここに入院するために、今のマンションに住んでいるみたいだ。
不思議。。。



病室をノックし入って行くと、彼はベッドに横になっていた。
おう、と片手を上げて笑っていた。





闘病


病院ではいろんなことがあった。
T病院は数年前に病室を新しくしたようだったが、問題がいろいろ出てきた。


最初の問題はベッドのマットレス。
何にでも拘りがあり、好みがうるさい人ではあったが、
今は病気ですっかり痩せ細り、おしりの骨も分かるほど。


予定日より早い入院ということで、入院予定の部屋はまだ空いてなく、
予備のような部屋に入っていた。
そこのベッドのマットレスはとても固く、痛くて夜眠れなかったという。


マットレスが大丈夫か、痛いところはないか、
家族はそこまで気を使ったほうがいいものなのかもしれない。




次に部屋。
とても乾燥していた。
新しい部屋だというのになぜ?


ナースステーションに呼ばれ言って話を聞いていると、病室よりも乾燥を感じる。
あとで看護師に聞いてみると、やはり困っているという。
それで患者ごとに加湿器を持ち込むことを許可しているとのことだった。


乾燥して喉が乾いて眠れないというので、早速家の加湿器を持って行った。




入院から数日後、右足が痛風のような痛みが出て赤く腫れ上がっている。
彼は以前痛風を患ったことがあるという。
でも今は食事ができるわけでもなく、点滴しか身体に入っているものはない。
原因は点滴の成分しか考えられない。
医師に伝えたが的を射ない。
痛み止めを出すと言われる。




放射線と抗癌剤治療が始まる。
肝臓付近が痛いという。
肝臓にまで転移したのだろうか・・・。背筋が寒くなる思いがする。
医師に伝えると、
「シップ出しましょうか」とシップを置いていった。
?????


転移ではないならそう示してほしい。
気休めならやめてくれ。
せめて患者のその痛みの部分に触れて、診断をしてくれ。
強くそう思った。


素人だけど、素人だからこそ不安なのだ。




臀部に床ずれが出来た。
治療で具合が悪く寝ていることが多い。
調子が良くて起きている時も座っているからだ。


辛そう。
皮膚科外来に行ったらしく、皮膚科医の的確な診断で軟膏を出してもらったという。
塗り続けるごとにどんどん良くなる。
いい医師もいるんだなと感じた。




治療の影響で白血球値が下がり、元に戻らない。
そのため治療計画は中断となる。
医師から、このまま治療が出来ない状態だと最悪こうなる可能性がありますと、説明を受けた。


翌日、白血球値は復活。治療再開が決まる。
放射線治療の再開が良いことなのかどうなのか。
わからない。
私は私で、他の治療方法がないか調べ続けていた。




2010年4月24日。
仙台国際センターで健康大学校の講演があった。
「末期ガンでもあきらめるな!」というもの。
聴講は無料、場合によっては相談もできるという。
フリーペーパーにあった広告で知ったことだった。
常に何かないかと考えていたので、目に飛び込んできたのだろう。


その講演で「フコイダン」というものを知る。
「フコイダン」とは海藻で、ガン細胞を死滅させていく効果が実験により発見されており、
西日本の病院ではフコイダン治療を積極的に取り入れている病院も増えているという。


試飲してみるとトロッとしている。海藻独特の香りも少し。
今の彼には口から飲み込むことはできない。
講師の先生に相談すると、
「そういう状態の患者治療体験のあるドクターを紹介しますよ」と言っていただいた。


しかしどこかに移動する体力は無い。
遠方からドクターを呼ぶのは高額だろう。
せめて今の治療で少しでも口から液体を飲めるようになったら、
「フコイダン」を試してみたいと考えた。



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