24歳、社会人2年目の僕が心が折れそうになった時に、3億円企業の起業家先輩からの「仕事は○○のために行くんだ」という言葉で「仕事をしよう」とスタートラインに立った話
だから、崖っぷちだったんだよ。
先輩の言葉が、僕の心に直撃した。
詳しく聞いていくと、先輩は甲子園常連校の選手だったのだが、膝を故障してしまい、野球生命が断たれてしまったという。
その後、自分はドクターとして野球に携わろうとした。しかし、とんでもなく偏差値の高い医学部を目指してしまったわけだ。そして3浪になったところで、さすがに親のスネをかじることもできず、営業の仕事を始めたという。
そこから起業をし、どんどんと年商は上がって一時は3億円の企業になったと言っていた。けれども、先輩のまたその後のハナシもガンと来た。
ハッキリ言ってショックもいい所だった。
僕は本当に逃げるように、会社から去って、ある意味うつという「免罪符」的なモノをもらった。でも先輩は、その恐怖に立ち向かうように、事業を起こし、成功を成し遂げたんだ。。。
先輩とはその日、お礼を行って、別れた。
どうして、僕はこうなってしまったんだろう?
僕は、大学では「意識高い系」と言われるような色々な学生団体だったり、企業のセミナーに行くある意味、社会勉強熱心な大学生だった。そこはとても楽しかった、と思う。
だからこそデキる“フリ”をしていた。
普通にサークルに行って飲んでるような皆とは違う、自分は出来ている。そうやって仮面を被らないと、自分が自分として、いられなかったんだ。ようは、不安にまみれていた。
そして、ひとたび社会人1年目になったらどうだろう?
何も社会のコトは分からず、色々なコトを聞く毎日。しかもベンチャー企業だから先輩たちも忙しい中、聞くタイミングを逃してしまう自分…それでも「出来ない自分なんて絶対嫌だ」と思い、自分がどんどん孤立していく、自分の状態を自分で救えなかったのだ。
人間関係ベタ。しゃべっても、面白くもない。目立ちもしない。暗い。
こんな新入社員だったら、あなたも、あんまり関わりたくはないだろう。まさに僕はそうなっていたんだ。
そんな状態が半年間は続いていたんだと思う。睡眠時間は3時間。ふらふらの状態だった。
そして、僕はいつも通り、家から車で地元の駅まで行き、車を降り駅に向かおうとした…
とうとう僕は、体が動かなくなり、涙が勝手に溢れてしまった。
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