24歳、社会人2年目の僕が心が折れそうになった時に、3億円企業の起業家先輩からの「仕事は○○のために行くんだ」という言葉で「仕事をしよう」とスタートラインに立った話

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自分が耐えきれなくて、壊れたんだ…




そう思った。もう、どうしようもなかった。心が折れるってこういうことなのか。その日は、休みの連絡を会社に入れて車の中で少しだけ眠るようにした。





・・・






しばらく寝てしまったようだ。確か10時くらいだったと思う。しかし、家に伝えることはできない。親の反対を押し切って、自分が行きたいと言ったまでの会社なんだから。





だから、どうしても今日は、帰るまでの時間を過ごすしか方法がなかったんだ。






ぼーっとしたまま、車を走らせて山に行った。








あ、ここおじいちゃんの実家だ。





そう、そこは、おじいちゃんの実家の近くの山。神社だった。なぜそこに行ったのかは分からない。僕のことだけど、僕は分からない。でも、それくらい混乱していたんだ。






そして、お参りをした。ゆっくり深呼吸をしながら、青空を見た。






あー、もう戻れない所に来たのかもしれない。。







ぐるぐると、アタマの中を巡らせながら、でも山のエネルギーによってスッキリしたのか。僕は自分の状態を見て、これは仕事に行っても意味がないと思った。そして、メンタルクリニックに行き、うつの診断書をもらった。







そして、家に帰り、色々とやり取りあって、親の前で23歳にもなって、わんわんと泣きわめき、親の愛を存分に受け取らせてもらった。






そして、うつの診断書をもらって、今になる。








先輩の意外な一言




話を元に戻す。だから先輩の「崖っぷち」のハナシ、響いたんだ。




どん底から這い上がった先輩。さぞかし、痛みも味わったんだろう。だからこそ、僕は先輩に対して敬意もあるし、恐れもあった。




だって、相手は3億円企業の元社長。それこそ歯をくいしばって、社会に立ち向かって生きてきた人なんだから。僕なんてヒヨッコでプライドが邪魔したようなヤツは、しっかりと叱るべき対象だろうな〜と、自分の甘さに辟易していた。





その甘さを振り切るように、僕は頑張って、復職をした。そして社会人2年目、24歳になった。






しかし3ヶ月後、また休職を余儀なくされる。






カウンセリングを受けながら、段々と自分が安定していることは分かった。だからこそ、ゆっくり休み次に備えるための休職でもあった。




でも・・・



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