【世界一可愛いおばあちゃんになったる宣言!】Baby Angel ♡ 赤ちゃん天使がくれた贈り物

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私たちはみな、究極的には「愛」を体現している存在だ。


彼も愛の存在だ。

ただ、今は、怖れに支配されているだけなのだ。



私は、正直言って、ぶん殴ってやりたい、と想った相手の青年のことを想った。


彼の暴言は、彼の怖れから来ている。


だから、まず彼を想い、彼のハイヤーセルフに語りかけるイメージをした。



あなたの怖れは心からよくわかる。

私だって怖いもの。

でもね、怖れをベースにして現実から逃れようとしてもいつかは自分に戻って来てしまう。

あなたは一人じゃない。

大丈夫。

あなたは自分の責任を果たすことで
あなたは自分にもっと自信が持てるようになる。

赤ちゃん天使は、それを助けに来てくれている。

だから大丈夫。


あなたが自分らしく輝いて
幸せでいてくれることに感謝します。

あなたがあなたでいてくれて、ありがとう。



相手がこう変わりますように、と願うのは自分の都合でしかない。


その人がその人らしく輝くことで、すべての結果は良い方に流れて行くから

それ以上のことを望む必要もない。



私は、彼の笑顔を思い浮べて、彼が幸せでいる状態を思い描いた。





【祈りの力】


朝一番の光は波長が長い。

夕方もそうだ。


だからお寺や寺院は朝と夕に鐘を鳴らす。

祈りが遠くまで届くように・・・


そんな話も思い出した。



その翌朝から私はご来光瞑想することを決意した。



それから私のお百度参りとも言える

ご来光瞑想が始まった。



生前、私を可愛がってくださったチェロキー族の長老がおっしゃった言葉がある。


『祈りというのは、神への感謝だ。

なにか願い事があるなら、神への100%の信頼が必要だ。


それは人参の種を蒔くようなものだ。
君は人参の種を蒔いたら、それが人参になることを信じて水をやるだろう。
そして一いちいち、芽が出たか、根が出たかといって、ほじくりかえしたりしないだろう。
一度蒔いた人参の種は、それが人参になることを信じて、
自分がやるべきことをしていれば、絶対に収穫できるのだ』


100%の神への信頼・・・

それでは、神とはなんなのだろう。



神というのは、自分の外にある存在ではない。

自分の内なる神聖な部分、自分の真の力なのだ。


私はそう信じている。


鏡(かがみ)をみたとき、そこに何が見えるだろう?


当然、自分自身の姿が見える。

しかし、そこに映っているのは、表面的な自分だ。


 の真ん中に 「が」(我=エゴ)がある。


その 「が」 を取りさったところに在るのが 「か み」=真我の姿。



肉体の目で見えるのは、肉体のその人でしかない。

しかし、心の目で観た時、そこには宇宙から頂いている命としての純粋な愛の存在がある。


それを100%信じる。

自分のものであっても、人のものであっても。


私は相手の青年の愛の部分、真の姿(かみ)を信じた。


そして、彼への怒りを感謝に変えて、送りつづけることにした。



そんなことをして意味があるのか?と想われるかもしれない。



彼の態度が変わるかどうかなど、なんの保証もないが、

少なくとも私の心を楽にしてくれるという意味において価値があるし、

私は「祈りの力」を信じている。


別に私が祈ることで誰かが迷惑するわけでもないし、

損得があるわけでもない。


失うものなどないのだから、やってみる価値はあるだろう。



現実はその人の想念=イメージが創るもの。


目に見えないからといって、電波が存在していないわけではない。


私たちは、電話線もない携帯電話を当たり前に使っている。

それは携帯電話という物質が、目に見えない電波をキャッチしていることを疑いもせず、

受け入れているからだろう。


小さな携帯で私たちは、世界の裏側にいる人たちとも、顔を観ながら話ができる時代にいる。


100年前の人に言ったら、とうてい、信じられないことだろう。


100年前に信じられなかったことでも、今は常識になっている。


だから、信じられないからと言って、それが存在していない、とは言えないのだ。





私たちが放つ想念も、携帯の電波のごとく、目には見えないが、存在している。



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