【蘇った愛♡私の孫はアメリカ人】〜命の数だけある命の迎え方・日本人バアバが見たアメリカ出産事情〜20万分の1の奇跡の物語☆

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著者: Suzuki Nana

赤ちゃんの心音のドクンドクンという音と平均140〜150くらいの数値。

時々、心音が小さくなるが、どうも赤ちゃんが少し動くためらしい。


その横にココの陣痛の様子を示す数値が示されている。

(上の写真では、心拍147 陣痛9)


陣痛が始まると、数値が5くらいから35くらいに上がっていく。




ココ、深呼吸して。

フー、フー、フー



私も一緒に深呼吸。


モニターを見ていると数値が下がってくる。

陣痛の波が収まったのだ。


3時50分:

手術の準備のための点滴が始まる。


また、数値が上がってくる。陣痛だ。


私は携帯で再び陣痛が始まった時間を見る。

5分おきだ。


喉が乾いた、というが、口からは水は飲めない。

点滴で水分を補給している。


そのため、トイレにも頻繁に行くが、その度に、モニターのコードと血圧計をはずし、点滴を下げているキャスター付きの引っ掛け棒?をトイレに引っ張りこまなくてはならない。


結構面倒だけれど、仕方ない。


その度に、いったん赤ちゃんのドクンドクンという心音が消え、部屋が静かになる。



看護婦さんが時々様子を見にきてくれる。

未明だというのに、明るい声のハツラツとした看護婦さんだ。


ココは彼女に、後産について尋ねた。

私も帝王切開の場合、後産、つまり胎盤の排出はどうなるのか、気になっていた。


大丈夫よ。ちゃんと摘出するから。


そうだろうとは思っていたが、ちゃんと確認できて安心した。



それから、私は、縦にお腹を切るのだと思っていたら、下腹のところを15cmほど横に切るだけで、手術用の接着剤で傷口を塞ぐのだという。


だから、傷口もそんなに目立たなくなるそうだ。


しかし、娘のお腹ははち切れんばかりで、妊娠線はもちろんだが、妊娠性の発疹で紫色になっていて、とても痛かゆいらしい。


それも私が経験しなかったことだ。

自分が経験していないことは、心配になる。

かわいそうだが、どうしようもない。

出産後はよくなるだろうからと、娘はそんなに心配してはいなかったが、一応、看護婦さんに診てもらう。

しかし、看護婦さんとしても、クリームを塗るくらいしか、提案はなかった。


その後だった。

明るい看護婦さんの表情が心なしか硬くなった気がした。


ちょと、確認したいことがあるんだけど。

あなたの帝王切開の予定は午後だったので、担当医の先生ができないかもしれないの。

それでも大丈夫よね?

書類にサインしてもらわなければならないから。



…まあ、だいぶずれ込んだからなあ。


娘の顔に少し不安の表情が浮かんだ。


担当医の先生は、ドクター・ゴウリキ という日系アメリカ人の女医さんだった。


娘も絶対的な信頼をおいていたので、できればドクター・ゴウリキにお願いしたい。

(剛力?強力??漢字はわからないが、名前の音からして、盲目的に信頼してしまいそうだ)



初産だし、ココの陣痛はまだ5分おきだから、
まだ数時間、大丈夫だと思います。

なんとか、ドクター・ゴウリキに頼めないでしょうか?



思わず、私は看護婦さんにすがりつくように頼んでしまった。



ずっと診てもらってきた先生ですからね。

私もドクターに連絡をとって、なるべくドクター・ゴウリキが執刀してくれるよう、尽力を尽くしますから。

万が一だめでも、他のドクターもとても信頼できますから、大丈夫ですよ。


とにかく、この子は意志が強い子だ。


ココがジャスティンと別れたばかりの時にお腹に宿って、

再び、二人を結びつけ、超細いココのお腹の中で超デカく育って、

帝王切開の日、私の到着も待ってくれた上で、

「自分でこの日を選んだんだよ」

と示すためにママを破水させた!

としか思えない。


実は、1ヶ月以上前、私はこの子に聞いてみたのだ。


「私の勝手なんだけど、予定を立てたいから、いつ生まれてくるのか、教えてくれる?」


予定日は3月3日だったから、2月と3月のカレンダーを広げて、

数字を見ながら聞いてみた。


そうしたら、2月23日か24日と言った(気がした:笑)。


それで娘に「多分22日から25日の間に生まれると思うから、準備しておいたほうがいいよ」と携帯のテキストメッセージを送っていたのだ。

(私の直感も捨てたものではない!笑)


「そんな早くに生まれて来てほしくないよ。ちゃんと40週で生まれてきてほしい」

その時は、ココにそう言われたが・・・


しかし、その後の成長が著しく、ココの体型では普通分娩は難しい、という判断から、帝王切開が24日に決まったとき、やっぱりなあ、と思ったものの、これは赤ちゃんの都合じゃないし、という想いもあった。


だから、この子は、帝王切開だったとしても、自分の意志で生まれてくることを示すために、予定より早く破水で意志を示したに違いない。


ココも心のどこかで、自分たちの都合で決めた日で産むのは、本当にいいのだろうか、という想いがあったという。


これで赤ちゃんが準備ができたと示してくれたから、気持ちが楽になった、と言った。


破水も天の計らい、赤ちゃんの計画通り?



陣痛は、ずっと5分間隔だったけれど、6時すぎくらいから、陣痛のピークの数値が50以上を示すようになる。


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