海外あちこち記 その11 グラスゴーとロンドン

著者: 阿智胡地亭 辛好

1977年1月入国。

1)グラスゴーに行った時、日曜日に有名な大聖堂に行きました。 大きな聖堂でその長い回廊のところどころに、プレートが掲示されており、読むと「千六百年代の何月何日、当地の伯爵家の長男デイビッド・マッカラム・ジュニアー(例えばですが)がエジプト戦争に出征し、勲功を挙げたが惜しくもカイロ近くのエジプト軍との激戦で戦死し、遺体はここに眠る」というような事が書かれてありました。

 こういう風にほかにも多くのプレートが掲示されていました。お墓でなく人が踏んで歩く廊下の下に埋葬?と言う事と、イギリス人(彼はスコットランド人の支配階層の一員ですが)はそんな時から、他国へ戦争に行って領土拡張に励んでいたんだと思いました。 

 後でキリスト教の死後の世界の認識を読んで、キリストが再生する時に、共に再生するため教会の中の祭壇に近いところに埋葬されることが、信者の願いということを知ってそういう事かと思いました。

 にしても洋の東西を問わず、人間の考えたり、することは、そうは違いません。地獄の沙汰も金次第。死んで埋められる場所も身分と金で違ってくる。

ヨーロッパ各国の教会の地下墓地にミイラ化した遺体が沢山置かれているのも、その時々に上流にいた人達が死後の世界でなく永遠の命を願った証であるようです。 

2)ロンドンの町は何度行ってもどんよりした曇り空、石炭の煤で薄汚れた家々が並んでいたという記憶しかありません。

煉瓦の舗道で街路樹も少なく殆ど街中には緑がなく、同じような造りの集合住宅が続きキレイな町並みだなあと思ったこともありません。

 こんなとこで暮らしたイギリス人は一度太陽のふりそそぐ外地(植民地)へ出たら、二度と帰って来ようとは思わないだろうなと思いました。

「小公女」だったかの小説で主人公のセーラが、両親がインドに駐留する軍人家族のため幼い時から学校の寄宿舎暮らしをしていたのを、また寄宿舎の学生が殆どそういう境遇だったことを思い出しました。

 当時から沢山のイギリス人が軍人や官吏で植民地に出ていたのです。アフリカ、インド、アラビア半島、東南アジア、と相当古い時代からユーラシア大陸の日本の反対側の島国の住人達は寒くて貧しい土地を出て、陽光燦燦たる他人の土地へ渡って行ったけど、この環境ならそうだろうなと思いました。

3) 学生時代に見た映画「土曜の夜と日曜の朝」というイギリス映画は、機械工場に勤める工員が主人公でした。

それまであまりイギリス映画に取り上げられなかった労働者階級の日常を題材にしたシャープな映画でした。出演者に美男美女は一人も出てきませんでした。

 彼の家は煉瓦造りの長屋で、居間の場面が写ると、いつも退職した父親が、カメラに背中を向けてテレビのサッカーの試合を見ていました。

居間の場面が出ると必ずいつも父親はサッカーの試合を見ていました。

いまサッカーが日本でもポピュラーになり、こんなスピーデイで面白いものだったのかと知りましたがメディアの解説の中に、ボール一個あれば誰でも出来るサッカーは、イギリスでは中流以下の階層が熱狂的に愛好するスポーツになったとありました。フーリガンの出身階層とも。

 通りがかりでは表面の勝手な印象と先入観でしか、その町と住人を見る事は出来ませんが、都心を外れて下町を車で通ったり、汽車の車窓から場末を見たりするロンドンは生まれた階層によってえらく差のきついところみたいだなあと思いました。

(2002年に作成)

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