野菜嫌いを一瞬で治した話 職人パパが、娘と難関私立小受験に挑戦した話 第3話
「食育」という言葉が、聞かれるようになって、
10年くらいだろうか。
食育基本法というのが設立されたのが、2005年らしいので、
だいたい、そんなところだろう。
【ママの悩みといえば、
たいていが、子どもの”野菜嫌い”。】
ご他聞にもれず、あ~ちゃんも、野菜が苦手。
細かくきざんで、ハンバーグのたねに混ぜる、とか、
カレーにまぎれこませる、なんていうのでは、ごまかせない。
無理やり口に入れても、
「野菜を食べないと、体によくない!」と
おどして食べさせても、食事の時間が、さんざんなものになってしまう。
「オレも無理だぁ」と野菜嫌いDNAの原因のパパも、あ~ちゃんと口をそろえる。
パパは、それでも、大人なので、無理に食べることはできる。
が、あ~ちゃんにうそをつきたくないばっかりに、
「本当は、オレも嫌いなんだよ」とつぶやく。
受験のためばかりではなく、野菜は食べてもらいたい。
幼稚園のおべんとうも入れても、野菜部分は、そのままもどってくる。
「馬やうさぎや、虫じゃないんだよ、あ~ちゃんは!」
「青くさいんだよなぁ・・・葉ものって」とパパ。
遅々としてすすまない、多くの受験課題を前に、
幼児教室では、洗練された都会のお坊ちゃまや、お嬢様にノックアウトされて、
もう、受験なんて、やっても無理なのでは・・・
と心が折れそうな気分が続いていた頃。
本番の11月からさかのぼること半年前、ゴールデンウィーク明けあたり。
いっしょの幼児教室で、席を並べてはいるものの、
お互いライバルのせいなのか、そもそも知らない同士なのだから、仲良くなるはずもない、
ママたちではあるが、ひとりのママが声をかけてくれた。
「あ~ちゃん、すごく、のびのびとしていて、いいですね。
わたし、あ~ちゃんなら、どこでも合格できるような気がするわ。
うちは、お姉ちゃんがもう小3だから、同じ学校に入れたくて、ここに通っているのよ」と。
聞けば、そのお姉ちゃんの通う学校というのは、
あ~ちゃんに、いちばん合っているかもな、いや、合っているといいな、と思っている学校だった。
「初めての受験で、もう、何がなんだか、わからないし、やらなきゃいけないことが、
ぜんぜん消化できていなくて、もう、落ち込みます。
毎回、お教室に来ると、みなさん、すごくて・・・」とこぼすと、
「だいじょうぶだと思うなぁ~」と、おっとりした、余裕のある様子で、励ましてくれた。
そんな会話をかわすようになって、ときどきおしゃべりをするようになると、
「わたしの義理母が、ちょっと変わってるんですけど、
占いっていうか、その人の運勢っていうか、見るのが、好きなんですけど、
あ~ちゃんの、よかったら、見ますよ」と言ってくれた。
なんだか、追い詰められていて、藁をもすがるという状態だったので、
生年月日や時間、生まれた住所、姓名などを書き出して渡した。
当たるも八卦、当たらぬも八卦ではあるが、
そのママの、温かい印象と、ゆったりとして物腰、うそがない感じに
何かを預けてみるような気分で、結果を心待ちにした。
結果は、義理のお母様の達筆な長いお手紙でいただいた。
そのなかで、もっとも強調されていたのは、
あ~ちゃんには、不動明王様がついている、とのこと。
希望の学校に合格するには、
お不動様におまいりをして、パワーをもらえば、よろしいのでは。というのだ。
いつものように、幼児教室が終わった後、
「今から帰ります」と電話を入れ、
ついでに、不動明王の話をちらりと話すと、パパは、
「善は急げだ。今から行くぞ」と。
パパが車で、迎えに来た。
家族3人で、高幡不動へドライブ。
自宅から、そう遠くない場所なのに、
これまで、一度も訪れたことがなかった。
護摩を焚いて、ご祈祷をしてもらうように、手続き。
平日にもかかわらず、ご祈祷を受ける人たちは、全部で25人くらいいる。
まさに老若男女。
無言のうちに、ご祈祷を受けようという人たちは、
「よいお席に」の気持ちが中心の前のほうへと、動いていく。
その勢いに気を圧されて、わたしたちは、やや後ろの脇のほうに、座ることになった。
そこに、50代の恰幅のいいお坊さんが、やってきて話し始めた。
「これから、ご祈祷をいたします。
そのあとで、おひとり様にのみ、お声をかけさせていただきます。
これは、どなたかは決まってはおりません。
そのときに、もっとも必要な方に、もっとも必要なことを
申し上げますので、どうか、ご了承いただきたく存じます」と。
お護摩の火は不動明王の「智恵」を象徴し、薪は「煩悩」を表しているとか。
まさに「煩悩」のかたまりの家族が、
幼な子に「智恵」を・・・という、構図(恥)。
護摩の儀式によって、
薪という煩悩を、不動明王の智恵の炎で焼きつくし、
ご信徒と共に、ご信徒の願いが清浄な願いとして高まり、成就する事を祈ってくださるとのこと。
パチパチと音をたてながら、火の粉が、空を舞っている。
そこに、先ほどの恰幅のいい50代のお坊さんと、もうひとり、やはり50代くらいのお坊さんが、
90歳代くらいの、かなりのご高齢のお坊さんを両脇から抱えて、
出て来られ、その後ろには、年齢順に、8人ほどのお坊さんが続いて出ていらした。
儀式と祈りも終盤を迎え、いよいよ、
そのご高齢のお坊さんが、祈祷を受けている、25名の前にいらっしゃった。
失礼な言い方になるが、「よぼよぼ」のおじいさんのお坊さんは、
目も見えているのだろうか?といった風情。
ふわ~と全体を見まわすようなそぶりをすると、あ~ちゃんのほうを合図して、
両脇を支えられながら、近寄っていらした。
「野菜、食べなさいよ。
よくかんだら、甘くなるからね。野菜、毎日、少しづつでいいから。
わかった? 食べるんだよ」
あ~ちゃんは、かたまった。
わたしたち親も、かたまった。
なんで、あ~ちゃんの野菜嫌いがわかったの?
何もお知らせしていないのに。
パパは、まさに鳩が豆鉄砲の表情。
さすがに、ETのような、スターウォーズのヨーダのような(大変失礼な表現ですが)、
お坊さんは、迫力があったようで、
あ~ちゃんも、「毎日、食べる、少しなら」と観念。
翌日から、幼稚園のおべんとうに、
あ~ちゃんリクエストの「ハートの赤いパプリカ」を入れると、
残さず食べるように。
そのほかにも、野菜を少しづつ食べるように、がんばりました。
受験科目に「親子面接」というものがあります。
両親と、受験する子ども、そして、校長先生、教頭先生と面接をするのです。
本命の学校の「親子面接」の娘への最初の質問が、
なんと、あ~ちゃんに対して
「好き嫌いは、ありますか?」だったのです!
あ~ちゃん「はい。野菜に、嫌いなものがあります」
先生「お母様は、嫌いな野菜をお食事やおべんとうに出しますか?」
あ~ちゃん「はい。出します。」
先生「食べていますか? 残しちゃいますか?」
あ~ちゃん「嫌いだけど、がんばって食べます」
先生「おお、それは、すごいね。この学校の給食にも、からだにいい野菜がいっぱい出ますよ。
食べられそうですか?」
あ~ちゃん「はい。がんばれると思います」
子どもは、うそをつかない。いや、つけない。
うそをついても、緊張感のある面接本番では、
追求型の質問で、ボロが出る。
もしくは、顔色や目線でばれてしまう。
「野菜が嫌いなのに、好きとは言えない。
でも、食べてほしい。食べられるようにしたい。
強制して、無理強いして食べさせたのでは、
それも、また、子どもの顔に出てしまう。
自分から、がんばって食べてほしかった」とパパ。
あれは、ミラクルなのか。
偶然なのか、
不動明王なのか!?
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