決意の時!本物の情報との出会い。こうして聖職者の家庭で育った僕はスロプロになった

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著者: 吉田 寛隆


あれから3年の月日が流れた。

(初めて読む方ごめんなさい^_^;一応前回の続編です)



の前にですね、前回自分の話をしていなかったので少しだけ話ておきます。

ぼくは聖職者の家庭に生まれます。

弟が2人(双子です)いました。

過去形なのは現在はひとりになってしまった為です。


小さい頃から厳しくしつけられます。

身だしなみだったり、勉強の事だったり、友好関係だったり。

周りの目も気にしていました。

小さいながらにぼくはこの環境がキライでした。

だから早くから家は継がない。

こう決めていました。



いいじゃん。遊んでばっかでも、勉強できなくたって死にはしない。

周りの目ばっか気にして生きるなんて、生きてる気がしない。

なーんて思ってました。

ぼくの評判は周りには良かったんですけどね(笑)

今でも

あんたの方が向いてるんじゃないか?

なんて事をたびたび耳にしますが。。。

じゃ、そろそろ本編に。






僕のスロットで稼ぐ能力は明らかに成長していた。

この時既に前回の話の時点で身に付いていなかった高設定狙い、新装オープン狙い、新台狙いという手札を持っていた。





仕事終わりには手堅くノーマルAタイプの高設定を狙う。

僕は特にハナハナが好きだった。



設定差はボーナス確率のみのシンプルな機種。

判別の効くシオサイはどこの店もプロに占拠されていたので、ハナハナはノーマークだった。



もちろん設定発表などない地域だったので、高設定だろうという事での稼働だったが、収支はついて来ていたので高設定に一応座れていたのだと思う。



3年目の収支は年間120万ちょい、大体月10万程度の副収入だった。

自信も付いてきたがまだ仕事を辞めるという考えには至ってなかった。

だが、この時僕は出会ってしまう。


人生は最良のタイミングで最良のモノがやってくる。

(と、誰かが言っていました、僕ではないですよ。誰だったかなぁ~)





夢、幻と思っていた攻略法という奴だ。



あ、いまあれですよね?胡散臭と思いましたよね?

でももう少しチャンネルはそのままでお願いします。



どうやらココはあの一躍有名となったサミーのレバーネタ。レバーをゆ〜っくり手前に引くようにやると前回と同じフラグが立つ。

という奴です。



え?大した事ない?

いやいや、ATなら純ハズレ、機種によってはボーナスさえコピー出来るこのネタは威力絶大でした

レバー対策までの期間中、対象機種は店員が貼り付いてましたから。

ぼくはチキン野郎なのでやったこと無いです。






ほいで本題、一年サポートで料金もリーズナブルだったのでとりあえず入会していたんですが、そこから特大ニュースが舞い込んでくる。

これ。ピンと来た人いますよね?


大ヤマトA、キンパルタイプのストック機。

ストックがある状態ならば、どこから打っても期待値プラス。

なんとこの機種リール制御がストック有り時と無い時で違う。

さらに1G連も搭載。


判別もカンタン!

店側も対応不能!

田舎なのでネタ配信時ライバル0人!


天井超えからのまさかの15連オーバーも経験。

投資額回収できなかったのは1回のみ。

ネタ配信時、初月回収額50万オーバー。(仕事しながらですよ)


後日談ですが、このネタで家を建てた強者もいたとか。


なんだかもうここまで楽勝だと仕事なんてやってらんねー感が出てきます。


が、しかし。


ネタの鮮度が落ちてくると(スシの話ではないですよ)

まぁつまり、世間に広まる、稼働が落ちてくるという状況になると鮮度が落ちてきたなぁ

となるわけですよ。


そうなってくると稼働がない(僕の為にボーナスを貯め込む人がいない)

店にヤマトのみ変速押し禁止の貼紙(え?順押しで判別できるけど?(笑))

ライバルがでてくる。


などの問題が出てくる訳です。

それでも減台、稼働なしまでにそこそこ稼がせてもらえました。

ヤマトを求めて遠征もしました。(という名目での旅行ですね)


楽でした。

楽して勝てました。

まさにぼくにとっては神台でした。



仕事辞めよっかなぁ~、どーするかなぁなんて思ってる間に旬はすぎ(結構優柔不断です)

しかたなく仕事を続けていました。


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