30代半ばのオッサンが起業した話 第6話
最初に受注したアプリ案件は、当初の納品日を過ぎていた。
受託案件に関しては基本的に粗利50%を下回らないこと。これを最低限のルールとしていた。
一つの希望の光は、iOS版を比較的単価の高いエンジニアにお願いしていたので完成が間近だったこと。
ただ開発費は底をつきそうだった。
世間が夏休みでFacebookに浮かれた近況がアップデートされている頃、弊社の戦略を大きく変えた。
今までは弊社が仕事を取ってきて、単価の安いエンジニアをクラウドソーシングで探してお願いする。売上重視の戦略だった。
でも上手くいかなかった。
そこで、取ってきた仕事は全て俺がやる。利益重視に切り替えた。
この頃はひたすら働いた、土日祝日関係無く。
とにかく何でも俺がやっていたから、気が付けばAndroid、iOS、サーバ周り、PhotoShop・Illustratorを使ったデザイン等、何でも出来るようになっていた。
最初に勤めていた会社の出向先の先輩から創業以来の大型案件も頂いた。
少しづつだが、会社は上向いていった。
最初に受注したアプリ案件は、俺が開発して半月位で完成させた。
顧客にも納品したのだが、色々注文を付けてきて支払いをしてくれなかった。
2013年11月
アプリ案件の入金を期待するも支払われなかった。
ここで何度目かの資金難に陥る。前にも書いたが俺個人のクレジットカードのほぼ全てが停止された。
新規の受注も順調に取れていたし、一見順調だった。
でも受託開発に頼る限り、今後も資金難に陥ることはある。
ここでまた弊社の戦略を大きく変えた。
労働集約型の受託開発を主とするのでは無く、第二の柱を作ってこの事業を売上全体の50%になるようにする、1年以内に。
ただ受託案件は10件ほど抱えていたし、あまり時間は割けない。
そこで、当時全体の1%にも満たない自社アプリ(電卓アプリ)の広告収入を大きくしようと思った。
収益逓増型を伸ばす戦略を取ったのである。
当時のアプリの広告収入は月8,000円程度。まともな経営者なら、そんな判断はしないだろう。
ただ俺はこれに賭けた。
Goolgeの公開後のノウハウ(英文)を2~3日間かけて隅々まで読んだ。
そして、それを一つづつ実践していった。
これは割りとすぐに結果が出た。ダウンロード数は右肩上がりになって広告収入は前月比2倍。平均すると14%増で増加していった。
支払われることのない最初のアプリ案件は、知り合いの社長に弁護士を紹介してもらい、支払催告状を送ることで、あっさりと支払われた。
ここでまた弊社のルールを作った。売掛金は必ず回収する!
そんなこんなで創業1周年を迎えた。
税理士との打合せで役員報酬を決める日がきた。
だが、それは想像以上に安かった訳だが。
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