4、専業主婦が、目指してないのに何故かタロット占い師になり、それを受け入れるまでの体験談(結婚、ブログ、ハンドメイド、不妊)

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新しい土地で火が着いたハンドメイドと健康志向

2005年3月、新婚時代を過ごした練馬区から、埼玉に引越しました。実家へは車で15分で行ける距離になりました。当時、実家では祖母の介護をしていたので、何か必要があればすぐに行ける距離になり、両親も喜んでくれました。


引越すと、やはり土地のエネルギーとか、自分の中のエネルギーが変わるようです。

引越しの荷物が落ち着くと、何故か一気にハンドメイドの熱が高まりました。

麻ひも編みにハマり、かぎ針編みの面白さに目覚めました。

編んだものをブログにアップすると、みんなが誉めてくれるので、モチベーションはどんどん高まります。


そして、夏には石けん作りに挑戦!

それまで、石けんなんて自分で作れると思っていなかったので、実際に作れること。そして使い心地が最高なことを知ると、もう、ものすごい勢いでハマりました。

新しい石鹸レシピを試してみたくて、次から次へと作るので、当然自分では使い切れず、友達や家族にプレゼントして、ノリノリで楽しんでいました。


そんな中、義兄(夫の実姉の旦那さま)が、まだ50代の若さで闘病の末、他界してしまいました。

義兄は大きな会社でバリバリ働いて、接待やらお付き合いやらに忙しく、ほとんど外食。

仕事優先で家族でゆっくりする時間は無かったそうですが、家族仲はとても良く、仕事でもプライベートでも多くの方に慕われて、着々と出世し、黒塗りの車で運転手付きの生活でした。

が、現役の社長として活躍している最中に、胃がんが見つかり、一度手術したものの、生活習慣を変えなかったため、再発して亡くなってしまいました。

葬儀は大きなお寺で行われ、お通夜では長蛇の列が出来、2000人以上の方が参列しました。

ビジネスマンとして思いっきり働いて、華やかに活躍して、たくさん稼いで、妻や子供たちからも格好いいパパとして尊敬されて、盛大に見送られて。

とてもエネルギッシュに生き切った半面、この世にはまだ未成年の娘3人と、50代の奥さんが残されました。

どんな人生を選ぶかは人それぞれ。

健康だとか、生活スタイルだとか、人生の目的みたいなことを、とても考えさせられる出来事でした。


その影響もあり、また夫のメタボ化も気になり、この頃から健康関連の本を熱心に読み始めました。

ちょうどその頃ベストセラーになった「病気にならない生き方」という本のタイトルがツボで、「そうそう!病気にならないような生き方ををしたい!そんな生き方を知りたい!」と思うようになりました。


同時に、「検査では何も問題無いのに、何で子供が出来ないんだろう?」という思いから、自然と東洋医学系の本もチェックし始めました。

石けんの香り付けに使うアロマの知識も自然と増えていきました。

そうすると、自分なりに「この本面白い。説得力ある。」と気に入る本は、みんな共通して「冷えは万病のもと」と訴えていて、「未病を防ぐ」という考え方を知りました。


また、「ヨガなんて、セレブにあこがれている人がお洒落ぶってやるストレッチみたいなものでしょ?」と、完全に斜めに見ていた私でしたが、初めてヨガレッスンに参加してみると、ものすごく癒され、「うわぁ、ヨガってこんなにいいものだったんだぁ~。これは流行るはずだわ!」と、納得!


それまで、自分の呼吸がとても浅かったこと、自分の体を放置していたことに気付き、

呼吸の大切さ、心と体のバランスの大切さ、体の声を聴くことの大切さ、

という、それまでの自分には無かった視点を得ました。


ブログやお友達との会話でも、健康関連の話題が多くなり、少し前までは「有り得ない!」と否定していた布ナプキンを使い始めたのもこの頃です。ハンドメイド熱の勢いで、布ナプキンも手作りしました。

それまでは、

市販のナプキンを使うのは当たり前。生理痛があるのも当たり前。痛ければ鎮痛剤を飲むのも当たり前。

という感じで、「生理痛が無い人はいいな~。私は毎月こんなに痛くて可哀そう。でも仕方ないか。」というスタンスだったのです。

鎮痛剤さえ飲めば痛みが治まるのをいいことに、深く考えずに受け入れていました。

一般不妊検査で、病気などの不具合は特に無い、ということも分かっていたので、「まー、生理痛は誰でもあることだしねぇ。」と放置していました。


それが、布ナプキンに変えたことと、健康に関することを少し意識し始めただけで

毎月薬を飲まなくてもやり過ごせる程度の痛みに激減したのです!驚きました。

布ナプキンにしただけで、こんなに生理痛が改善されるなんて・・・。

しかも布だと温かくて気持ちいい♪

不快じゃ無い!


この心地よさを何も知らずに、「市販のナプキン以外はあり得ない!」と思い込んでいたんだ。

ヨガだって、何も知らないのに何故か斜めに見ていたし・・・。

作れると思ってなかった石けんも、出来るようになった・・・。

それまでの自分の枠が、どんどん壊されて広がって行く感じでした。



不妊ストレス

埼玉に引越して、石けん作りにハマり、実家の母にも自慢げに石けんをプレゼントしていた私。

すると、「石けん作りより子作りの方が優先なんじゃないの? 近くに評判の病院があるから行ってみなさい。」と言われました。


せっかく楽しんでいるのに、上手いこと言ったような感じで、水を差して・・・もうっ!

と、内心カチンと来つつも、今度は埼玉の病院で、また一通りの検査を受けるために通院を始めました。


また、埼玉には鍼灸師である実の姉も住んでいるので、姉に泣きついて、鍼治療も週に1、2回のペースでしてもらうことになりました。


そして行ってみた埼玉の病院での一般不妊検査でも、銀座のクリニック同様、何も問題は見つかりませんでした。そうなると医者も対策しようが無いので、

「では人工授精をしますか?やるなら少しでも若いうちに。」 という話に。この時33歳。

「ええ!?人口授精!?そういうことしないともう無理なんですか!?」

とビックリしてとりあえず帰り、夫に相談しました。

夫は、「やってもやらなくても良い。やりたいようにすればいい。」というスタンス。

あくまでも、私の好きなようにやれば良い、というスタンスなのです。子供のことも仕事のことも何でも。


私としては、今まで「検査のためにクリニックに通う」というだけでも、すごくネガティブな気持ちが溜まっていました。


「みんな自然に妊娠しているのに、何で自分だけがこんな目に遭わなきゃいけないの?」

「子は授かりもののはずなのに、なんで病院に行かなきゃいけないの?」 と。


それまでの私は、高校の部活でも、受験勉強でも、社会人になってからの仕事でも、

基本的に「自分が本気になって頑張れば何とかなる。」

という発想の元にやってきていました。


何とかならない場合は、自分の努力が足りない。

もしくは、何か原因がある。その原因を追究してやり方を変えればうまくいく。

いずれにしても、「自分の努力とやり方次第」という考えで生きてきて、それなりに何とかなってきたと思っていました。

もちろん、興味の無いことは全然努力しませんが、目的がはっきりしている場合は、その達成のために一直線!という風でした。


そんな私にとって、

原因も無いのに妊娠しない・・・。

自分で努力して克服する手段が何も明示されず、いきなり人口授精という方法に頼らなければならない。

ということは、とても受け入れ難く、納得がいきませんでした。


相変わらず両家の母は、会う度に「まだ?」という感じ。

ただ近くに孫が欲しい!孫を可愛がりたい!という純粋に楽しみな気持ちと、

夫が末っ子長男なので、私が産まなければ○○家が終わってしまう、というプレッシャーもありました。(別に継がなきゃいけない家業も無いけれど)


「結局この人たちは、3人産んで元気に育てたという実績のある人たち。言ってみれば勝ち組。負け組の私の気持ちなんて、絶対に分からないだろう。」


と、私は勝手にいじけて心を閉ざし、何を言われても気にしていない振りでやり過ごしていました。

どちらの母も、プレッシャーをかけているつもりは無かったと思いますが、当時の私は、親孝行出来ていない自分を責められているような罪悪感と、自分は何も悪く無いのに、なんで? という被害者的な気持ちでした。


そんなネガティブな気持ちになっていることも正直に言えず、ただ気にしていない振りをしていました。


そして、人工的な手段に出てまで子供が欲しいのか?と自分に問いかけると、違うような気もして、

治療に通うことの方がストレスになって体に悪そう、と思ったので、迷いながらも、一旦クリニックに通うのは止めることにしました。


通院を止めようと決めたと同時に、帯状疱疹になりました。ストレスが原因とも言われている病気だそうなので、「ああ、今までの通院、やっぱり嫌だったんだなぁ。 とりあえず一旦止めて良かったな。」と納得することにしました。


「出来なくて可哀そう。」と哀れに思われるのが嫌で、友達にもほとんど相談はせず、子供のことはブログにも書きませんでした。


たまに子供の話になった場合、気にしていない振りをすると

「子育ては若いに越したこと無いから、のん気にしてないで頑張った方がいいよ~。」

というようなことを言われ、

逆に、ちょっと気にしている風にすると、

「気にし過ぎるから駄目なんだよ~。忘れた頃に出来るって良く言うじゃない~。」と言われるのがお決まり。

いずれにしても、上から物を言われているような気がして面白くありませんでした。


週に1、2回のペースで、実姉に鍼とお灸の治療をしてもらっていたので、その時だけは、甘えて色々と話すことが出来るのが救いで、いつも長居してたくさん話を聞いてもらいながら・・・。


そんな中、凄いと評判の漢方薬局を紹介してもらい、漢方薬を飲み始めました。西洋医学の通院を止めても、何かしら努力はしているんだ、という自分への言い訳と親へのアピールのためでした。

「子供を授かるための努力」という意味では、不妊専門クリニックに通っているのと同じなので、

「何でみんなは努力しなくても授かるのに、自分はこんな目に・・・。」というネガティブな気持ちは相変わらず溜まっていく一方でした。



罪悪感を原動力に盛り上がっていく主婦生活

そうやって子供に関してはネガティブ路線を歩んでいても、それ以外の主婦生活は充実していました。

引き続き、石けん作り、編み物、縫い物のハンドメイドをし、パン作りやお料理にも前向きにトライし、家に夫の部下の皆さんを招いて宴会したりして楽しんでいました。


両方の実家に足を運ぶ時間のゆとりもたくさんあるので、子供以外の親孝行は出来るだけ頑張ろう!と、何かと交流していました。

そう、子供が出来ないという罪悪感から逃れるために、それ以外の部分では「良い娘、良い嫁」になろうと頑張っていました。


あらゆるハンドメイドなどが盛り上がるのも、元々そういう手づくりが好き、という性質に加えて、

子供がいないのに専業主婦をしている、というのを誰かに責められるのが怖くて、時間を無駄にせず、いろんなことをやっている私。夫と自分の健康のためにお料理なども頑張る私。充実した暮らしをしている私。を追い求めて、罪悪感から逃れようとしていたのだと思います。


そんなネガティブ思考を原動力にしつつも、自分で手をかけて生活を作っていくことの面白さは私にとって魅力的でした。

石けん作りやお料理など、以前は出来ると思っていなかったことも、一歩踏み出してやってみれば意外と出来るようになるという発見。

以前の自分よりあらゆる知識と経験が増えて、進化しているという実感。

お金では買えない夫や家族との充実した時間。


そんな主婦生活をブログでせっせと書き綴っていくことで、明るくて楽しい側面にフォーカスすることが出来、友達が書いてくれる嬉しいコメントや友達のブログを見て、ポジティブなパワーをもらっていました。


そんな中、ブログで出会ってリアルでも仲良くなっていたお友達が、「靴下をたくさん重ねて履く」という謎の健康法を始めました。




5、に続きます。

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