勘違いした4年間
あとはたまーにやって来る真面目な後輩に遭遇した事はあったような気がする。
隠す事でもないので、彼らを気にせずに勝手に練習してたが
彼らには、もしかしたら何か伝わってたのかもしれない。
と密かに思いながら。
ただ、これらは別に努力とかそんなものではなくて僕の中で「当たり前」
他人と違う道を歩くと決めた以上、
自ら道を作り、自ら歩かなけらばならない。
でなければ、ただの”文句言い”になってしまう。
こうしてひねくれ者が研ぎすまされ
後に今の自分にも繋がる源泉にようなものが構成された。
そして理論に実証を重ね、確証へと変わってきた理論は
当時、『完成』を迎えた。
最初で最後、結果にコミットした
今まで、結果よりも内容をひたすら重視して、自分の中の”手応え”に執着していた。
やがてそれを理論化し、いつでも解凍可能な状態で保存する事。
その為に野球の基本や概念にひたすら中指立ててやってきた。
しかし、最後のシーズンは違った。
つまりは4年生春・結果に初めてコミットしたシーズンだった。
・防御率0点代
・全試合完投
この二つ。
実は過去に「ストッパー」をしてくれと打診された事があった。
しかし僕は3秒で断った。
「こんなチームでストッパーなんかやってたら、ただの敗戦処理になってまうわ」
「先発できへんならいつでもピッチャー辞めるわ」
そういって反発するように次の日には外野手用のグローブをわざわざ購入して、勝手に外野手の練習に参加して、首脳陣から干された経緯があった。
そうして僕を除いた投手のみでシーズンを闘ったが、案の定投手陣は火の車。
「ほらな?」
そうして僕のストッパー案は消えていった経緯があった。
それから首脳陣との信頼関係が築けて来た気がする。
だからこそ一度上がったマウンドは絶対に譲らない。
森田がマウンドを降りるという事は敗戦を意味する。
これが首脳陣から言われていた言葉だった。
なのでこれも一つ自分を作った大切な要素。
そしてこれらを達成するという事は
一度もマウンドをおりず2試合に1回は確実に勝てる計算になる。
防御率が0点台なのだから。
つまり、よほどの事が無い限り”優勝”出来る計算になる。
そしてこれは、何も夢物語などではなく、現実的に充分可能だと考えていた。
なぜなら、完成を迎えた自負があったからだ。
そしてこれらを達成した先には・・・
社会人か独立リーグで野球をしようと考えていた。
つまり、このコミットした目標とは
”野球を続ける為に課した最終試験”
というわけだ。
それに備えて、前年シーズンを終えてから煙草もすっぱりとやめて
心身ともに最高の形で迎えた。
コントロール、球の切れ、変化球の精度。
どの球種でもストライクを取り、どの球種でも三振を取る。
当時考えうる最高の状態。
つまり『完成』
この表現が今でもしっくり来る。
そんな心身ともに充実した状態で開幕を迎えた。
ふと頭をかすめた。
「中2の冬、骨折してへんかったらこんな感じやったんかな」
懐かしさと充実感と、得体の知れないほんの少しの焦燥感があった事は今でも覚えている・・・
運命のいたずら
著者の森田 一也さんに人生相談を申込む
著者の森田 一也さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます