お寺で育った幼少期、異国での日々、3.11での被災、ライターで食いつないだ東京でのじり貧生活...こわがりだった私の半生の中で、唯一ゆずれなかったもの

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次話: 永い準備期間を経て、とある孤高の作家と出会い、本当に好きなものが仕事となった話




貯金がすっかり底をつきていた。

生きながら死んでいる場合ではなかった。

私は本を出版するといったことをいったん手放して、

新しい仕事を見つけた。文字校正という仕事だった。


あおり、パタパタ、消し込み。

出版業界にいて、ライターをしていた時には

知らなかった校正用語がたくさんあった。

ただひたすら間違いを見つける仕事。


原稿を重ねてパタパタあおると、

違っている部分が動いて間違いが見つかる。

校正者はひたすら間違いをただしていくことに集中していく。

現場によっては何人か一組のチームで校正する。

みんな早くて正確に間違いを見つけていく。

落とすことがゆるされない印刷前の最後のバトン。

集中力がそのままお金になっていくような、そんな仕事だった。


日によって、さまざまな会社に潜り込んで校正をした。

影武者のように、ひたすら地味にみんなの作った原稿に

間違いがないかチェックしていく作業だった。

ひさしぶりの仕事は働ける喜びに満ちていた。


しばらくすると新しい現場をまかされることになった。

遠方な上に一人で入らなければならない、難易度の高い現場だった。

漏れがあれば責任は自分にのしかかってくる。

私はそのときまだ、一人で校正をしたことがなかった。





はじめて入る一人現場。

私は緊張しながら、到着した。


出迎えてくれたクライアントは、背が高くて、まだ若そうな男性だった。

細い体にシャツにベスト。どこか、ルパン三世を彷彿とさせる雰囲気。

ルパン三世は、てきぱきと場所を案内すると、無駄なく仕事の内容を説明してくれた。会ったことのないタイプの人だった。細くて、若そうなのに、ずいぶんパワフル。まったく仕事に集中すると、それ以外のことが世界から消える。ロボットのような正確さで、仕事を遂行していく。だけど、なにか独特のユニークさがにじみ出ていて、こういう人はプライベートでいったいどんな顔を隠しもっているんだろう? そんな想像をかき立てられる不思議さがあった。それがその現場で出会った、T.HASEの最初の印象だった。この時はまだ、この人が、自分の人生を大きく左右する存在となるなんて、夢にも思わなかった。





現場の繁忙期になったある日。

先輩の校正者と2人で入る日がきた。

私は、質問できる喜びと、やっとチームで校正できる安堵で先輩を待った。


スーパーの袋をぶら下げてやってきたその人は、出会う人みんなを緩ませるような空気を持っていて、肩の力のぬけた男性だった。買ってきた菓子パンをほおばるその様子にすっかりうちとけてしまった私は、気がつくと最初からため口をきいていた。優しいせんぱい。それが、金川さんとの最初の出会いだった。



金川さんと一緒に入った現場で、

待ち時間が異様に長かったある日、時間潰しに世間話をしていた。

「どんな作家が好きか」と聞くと、一度も聞いたことがない作家さんの名前がぽんぽん出てくる。金川さんは筋金入りの読書家だった。彼の本への、作家への想いは、熱くて鋭く、語り口こそ柔らかかったが、その文章への審美眼は、常軌を逸していた。その鋭い熱によって、あきらめていた私の何かに火がついた。


そうだ。そういえば、すでに完成した原稿を持っているんだった。

どこに持っていっても、うんともすんとも言われなかった原稿。


私は私で、これまでどんな仕事をしてきたか軽い身の上話をしながら、

自分が作家志望だったことを思い出した。

すっかり本を出版することをあきらめていた私は、

急に目が覚めたように、ホコリをかぶってしまった夢を

大急ぎで、ひっぱりだした。

ここに話をきいてくれる人がいる!

本が好きでしょうがない人がいる!

出版できずに、表現できずに、人の役にたたずに、ただ隠れていただけの原稿を、私は持っている。出口の見えないトンネルに光が射しこんだ。

私は、金川さんに夢中で話していた。


金川さんは、ぼそっと言った。


金川

「俺、ISBNコード持ってんだよね」


「何それ?」

金川

「本を出版するのに、必要なコード」


「なんで、そんなものを個人が持ってるの?」

金川

「本を作るのが夢でさ」


本を作るのが夢!?

それを聞いた私は、現場で仕事中だったにも関わらず大きな声を出していた。

「え!!! じゃあ、私の原稿、読んで!!!」

そうして私は、今まで誰にも必要とされなかった原稿を、金川さんに送った。



一週間もしないうちに、金川さんからメールが送られてきた。

以下のような、内容。


「あれだけゆうからには、相当書けるんだろうと思っていたけれど。

それでも、予想の斜め上をいっているところがあった。

本にしましょう! 出版しましょう!」


作品の感想を丁寧に書いてくれていた。

お世辞のない、直球の言葉が胸に突き刺さった。



死んでもいい。

それぐらい、うれしかった。



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