お寺で育った幼少期、異国での日々、3.11での被災、ライターで食いつないだ東京でのじり貧生活...こわがりだった私の半生の中で、唯一ゆずれなかったもの
家族がみな駐車場に集まって固まっていた。
家の中にはお金や通帳があったけど、
そんなものは一瞬にしてどーでもよくなった。
ただ家族の無事が確認できた。それだけでよかった。
夕方を過ぎると雪がちらついた。
あまりの揺れで、ガス、水道、電気、すべてとまった。
私たち家族は車の中に入ってTVを見た。
TVの中で大きな津波がおきていた。
「死ぬ!」
地震で揺れながら、死を意識した。
痛いのは嫌だけど。死ぬのは怖くない。けど
あの原稿を本にするまではぜったいに死ねない!
お金より大事なもの。
今はあの原稿を本にすることが
何より、大事だと、大きく揺さぶられながら、
そう、おもった。
3月11日。
◇
4月1日。
弟夫婦の車に荷物をのせてもらって、東京へ引っ越した。
福島ナンバーの車は、否が応でも注目をひいた。
原発が爆発してしまったこのとき。
私は自分がばい菌のように感じていた。
東京に受け入れてもらえるのか、不安なまま、
私の2度目の東京生活がスタートした。
いざ、東京生活がはじまってみたものの、
何をしていいのかさっぱりわからなかった。
被災してしまった福島が気になるし、
やる気も出ない。私は、床に大の字に寝転がって、
ひたすら時間がすぎるのを待つような毎日をすごしていた。
できあがった原稿を持ち込もうにも、
どこに持っていったらいいかわからない。
気持ちはあせっても、体が動かなかった。
さすがに貯金が減ってきた。
何かしなければ、と、急に思い立つと
出版社にライターをさせてほしいと営業に行った。
東京では出版関係の仕事しかしていなかったので、
他の働き方が思いつかなかった。
実際に自分で買ったこともない雑誌。
男性の編集者が面接をしてくれた。
丁寧な対応で「企画書を書いてほしい」といわれた。
“とりあえず職探しをしていただけ”という私に、
いいアイディアは浮かばなかった。
あの雑誌だからダメだったのかも?
と、あきらめがつかなかった私は、
もう一社、雑誌に営業をした。
けれど、企画書をだしても自分をアピールしても、
結果は同じ。どの雑誌からも仕事の依頼はこなかった。
貯金はどんどん減っていった。
私は完全に社会から切り離されていた。
仕事が見つからない状況と平行して、
書き上げた11話の作品をどうしようか考えていた。
どうすれば、本になるんだろう?
どこかの賞に応募しようか。
文字数が微妙だったけど、ぎりぎり範囲内の賞があった。
文字数で一番近い作品を選んだ。
真新しい封筒にプリントした原稿をつめて送った。
それでも、いてもたってもいられなかった私は、
次に持ち込める出版社を探した。
「郵送してほしい」という出版社を見つけたので、
会ったこともない担当の人宛に、束になった原稿を送った。
だめ押しに直接手渡しできる出版社を探した。
原稿を受け付けているところを見つけると、
さっそく電話で直接の受け渡しを希望した。
対応してくれた女性の編集者は、
とまどいながらもOKしてくれた。
1階におりてきた女性編集者は、
透けたガラスの扉越しに、軽く会釈すると、
扉を完全にあけることもなく、
その隙間から手だけ出して、受け取った。
あっけなく原稿は、出版社の中に吸い込まれていった。
あらゆることをしようと、
いろいろ動いてみたけど、
いつまでたっても、どこの編集部からも、
なんの音沙汰もないまま、時間だけがすぎていった。
だけど私は、どーしてもこれを本にして世に送り出したかった。
その原稿には、自分がそれまで見て経験したことが凝縮されていた。
こわがりだった子供のころの私は、充分すぎるほど怖い体験をした。
出口のない闇のような感情、魂、ことばにならないすべて。
そこでの経験、自分が感じた感覚、そのすべてを表現したかった。
自分が感じたことを表現することで、何かしら人のこころに触れたい。
本当は人の役に立つことがしたい。
地震で大きく揺さぶられたときにも、
ロンドンでふたたび表現の一歩をふんだときにも、
こどものころ作家になりたいと憧れていたときにも、
いいや、その前から、きっと、気づいていた。
私は、表現することで、人のために何か貢献したかった。
どんな仕事も、その人自身を表現しているとするならば。
私もまた、まっこうから、自分の表現をしたかった。
それなのに役に立つどころか
仕事もない、本にもならない、
呼吸をして、生きているのがせいっぱい。
何のために、生きているんだろう。
役にたたないのなら、死んだ方がいい。
だけど死ぬことが得策ではないこともわかっていた。
仕事がないこと、お金がないこと、原稿が本にならないこと、
何より人とつながっていないこと、それが、地獄だった。
生きながら、死んでいる、そんな毎日だった。
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