【第2話】〜生きようと決めて1年間闘い続けたら、過去がすべて今に繋がっていた話〜

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著者: 坂内 秀洋

正しくは、完全に受け入れる事が出来なかった。


しかしこの時、僕は自分でも本当に「何かおかしい…」と思っていた。


僕は毎日夢を見た。

ここ数年間、夢を見ずに熟睡出来た記憶はなかった。

睡眠薬を飲んでも、必ず夢を見た。

この時は特別酷く、現実に起きていることのように鮮明な夢で、

現実との区別がつかなくなる程だった。

起きている間も記憶は曖昧で、簡単な計算をする事も出来ず、

何かを持つにしても力が入らず、指先までちゃんと意識をしていないと落としてしまいそうだった。

そんな状態だから、自ずと動きは遅くなった。

角を曲がるにしても、頭でイメージしているように上手く曲がる事が出来ず、

よく角に体をぶつけた。


自分の身体ではないような感覚だった。


上手い表現が思いつかないが、いつもふわふわしている感じ。

本当に地に足がついていないって感じだった。


「心」がというより、「頭」がおかしいと自分でも感じていた。

元々おっちょこちょいな性格なんだけれども。笑


だから、「脳の病気」と医者に言われ、妙に納得する部分があった。


この日から、躁うつ病の薬を処方された。


僕は早速、躁うつ病について調べてみた。


wikipedia先生によると、

躁うつ病とは、異常な気分の高揚が続く「躁」の状態と、

気分の落ち込む「うつ」の状態を繰り返す病気らしい。


診断は難しく、うつ病よりも自殺率が高いとされている。


症状を見てみると、これまでの僕の行動に当てはまる部分が多かった。


旅に始まり、心理学、HP作り、アルバイト、保険関係の手続き…

何かを始めようと思った時の集中力と行動力はハンパじゃなかった。

「ひらめき」のようなアイディアが次々と溢れ出し、

「僕には何でも出来る!」という自信でいっぱいだった。


そして、少し経った後の突然の自殺願望…


症状を見てみると、躁うつ病であるということの否定は出来なかった。


しかし、僕はその事実を知って絶望した訳ではなかった。


ゴッホやヘミングウェイ、ベートーベン、カート・コバーン、

夏目漱石も躁うつ病だったと言われているらしい。


歴史上、「天才」と評され、現代社会にも多大なる影響を与えている人物と同じ病気だということにどこか陶酔していた。


バカみたいに聞こえるかもしれないが、


「僕はやっぱり天才だったんだ!」


と思った。笑



「やっぱり」と思うには訳がある。


※ここからしばらく学生時代の話になります。


小学校2年生の時に、自分の生い立ち記録を作るという授業があった。


その頃、テレビで「スラムダンク」が放映されており、僕は桜木花道が大好きだった。

その影響もあってか、この記録には、「天才」という言葉が多く使われている。


そう、僕は幼い頃から自分の事を「天才」だと思っていたのだ。


傍から見ると、かなりイタい人間だが、

この認識がいつも僕を逆境から救ってくれていたのは事実だ。


「天才の僕に出来ない事はない!」


本気でそう思っていたから、色んな事にチャレンジした。

好きな事は出来るまで諦めなかったし、精一杯頑張れたのは、

いつも自分の事を

「天才ですから!」

と本気で思っていたからだと思う。


と、同時にこの認識が僕を苦しめたのも事実だ。


中学、高校、大学と年を重ねるに連れて、自分を取り巻く社会は拡がっていく。


競争相手は、どんどん増え、強さを増していく。


体格の差、運動能力、音感、環境の違い…


これらによって、どう頑張っても勝てない状況に直面する。


「自分は1番ではない。」


「優れた人間ではない。」


「僕は、天才ではない。」


という認識にならざる負えない状況に直面する。


いわゆる「挫折」を経験する。


そして、「諦める」ということを覚え始める。


勝てない戦に挑み続けるより、あらかじめ負けを認めてしまった方が楽だから。


「どうせ自分は出来ない人間だ」


と最初から認めてしまった方が、どんな結果になっても傷つかずに済むから。


僕は、諦めるという選択をし始める。


「○○だから仕方ない」


と言い訳をし始める。


いつの頃からか、僕は諦めるのが普通になっていた。


勉強や運動、1番になれないと思ったことは最初から諦めた。


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