1km走って足がつっていた僕が、東海道53次を走ったら、ゴビマラソン250kmまで完走して世界一になった話。

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それでも。


そのハードルをクリアして250km走れる自信と経験を得たい。



少ない情報をかき集めてラップ表を見つけ、それを頼りに走り続けました。



滝のような汗でクラクラしたときも、

永遠と続く上り坂を小さな一歩でもいいから推し進めた時も、

ただ、「ここをクリアしたい。ゴビマラソン250km走りきる力をつけたい。」

という思いで足を進めていきました。



なぜ走るのか?

ゴビマラソンを完走したいからだ。


ウルトラマラソンを走りきるためには、

走力以上に精神力で走る事になる。

それがつまり、「なぜ、走るのか?」だ。


僕には明確な目的があった。

だから走りきることができたのだと思う。





そして。




富士山往復マラニックからゴビマラソンまで間が空きすぎてダレることを恐れた僕は、その時点でも申し込みが間に合うレースに申し込んだ。



それが木更津トライアスロンだった。

未知の世界を乗り越える勇気を鍛える。


足のつかない海で1.5km泳ぐことは僕にとって怖いことだった。


それでもウエットスーツを着て、乱戦となるスイムで

蹴られたり、乗られたりだったけれど泳ぎきることができた。


その後の自転車40kmもラン10kmも無事に乗り切り、

完走することができた。




(ただ、気づけばトライアスロンがゴビ出発の1週間前だったことは直前になって焦ったけれど。)




そんな風にして。



「僕にはとてもできそうにない」と感じていた砂漠250kmマラソンという存在に対して、目指して歩き続け、しがみついて登り始め、近づき続けた。


いつの間にか

「これができたなら、できるかもしれない」

「ここまでやったんだから、やりきれるはずだ」

そんな風に想像できるサイズ感に変わっていた。



そんな風に自分にできることを全てやり、当日を迎えることになった。





その9.「ここがモンゴルかぁ」


期待と不安を持ち合わせて到着した成田空港。

レース中に荷物を入れるSSERから送られてきた黄色のドラムバッグを担いで

チェックインカウンターに並んでいると、同じバッグを持った人が現れた。


今回の選手、多田さんとの出会いだった。


こういうレースの経験があるのか、聞いていたら、

サハラマラソンはおろか、アタカママラソン、そして南極マラソン

まで走ったというツワモノ。


砂漠マラソンに出るくらいの人というのは、どこか変わった人だと

思っていたけれど、いきなりすごい人と出会ったなぁと感じました。


それからしばらく並んでいると、金髪の女性も同じバックを持って登場。

(うんうん、やっぱり普通じゃない人いっぱいいるよな♪)

いがちゃんとの出会いでした。


他にも数人、黄色のバッグを担いでいる人たちと出会い、

(こういう人たちと一緒に出るんだなぁ)とワクワクしました。



機内の時間は思ったより長く、

(モンゴルって意外と遠いなぁ)

と感じていました。

機内の温度もちょっと肌寒かったかな。



6時間が過ぎ、高度を下げていく機体。


窓の外には低い山々と草原が入り混じったような広い世界が見えてきた。


そしてその山々の直ぐ近く、とある場所から建物のエリアが始まっている。

どうやら首都ウランバートルのエリアのようだ。


建物密集エリアから少しまばらになったくらいの場所が空港。

長い飛行機の旅が終わりました。


空港から出て、モンゴルの空の下に出た時に、

「ここがモンゴルかぁ〜」

初めて来た土地から漠々とした広さと肌寒さ、

乾燥した空気と埃っぽさを感じた。


ホテルまでの送迎バスに乗るガイドさんが、細い体で重たい荷物を

軽々と持ち上げる姿に違和感を感じながら、モンゴルの旅は始まった。


バスから見える景色は、ちょっといけば直ぐに低い山々が見えた。

道路は広く、きちんと舗装されていた。

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