1km走って足がつっていた僕が、東海道53次を走ったら、ゴビマラソン250kmまで完走して世界一になった話。

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23kmなんて短い距離だと思って気楽にしていたけれど、

2日間走った足は結構なダメージが残っていて、思った以上にしんどかった。


それでも最後には三条大橋までゴールした。

意外にあっけないゴールだったけれど、

その後京都タワーのホテル宴会場で開かれた表彰式が

とてもキチンとしたもので、そのギャップに驚いた。


長い旅を振り返るようなことがたくさんあって、

嬉しさも寂しさも感動も全部いっぺんに押し寄せてきて、

とても感動的な表彰式だった。




そして。


この東海道ウルトラマラニックからの大きなプレゼントとして

一人はランでトップだったヨッシーに。

そして、もう一人は僕に。


第3回モンゴリアゴビデザートマラソンの招待券がプレゼントされた!


あのサハラマラソンのトークライブであこがれた

砂漠マラソン250kmへの招待状。


そん時点では砂漠を6日間で250km橋切る力も自信もなかったけれど。

そこには行かない選択肢はなかった。

挑戦とか恐怖とか勇気とかはなかった。


このマラニックで出会った仲間みんなの応援を感じていたし、

こうして流されて、その流れに乗って挑戦することが自然だった。





その8.ゴビマラソンのスタートに立つまでの物語


ゴビマラソンの旅程はなんと11日間。

金曜日が出発で、土曜、日曜日から一週間。

そして翌月曜日が帰国日。



普通のサラリーマンである僕にとって

これだけ長期の休みを取るということは、普通の状態ではない。



幸い、会社は夏休みが選択性なので、

お盆ではなく、そこにあてることができた。


しかし、夏期休暇を3日間+年休2日間を繋げて

一週間休むのが通常のやり方だ。


案の定、上司からツッコミがはいった。


「お前はなんでこんなに休むんだ?」


「この時期忙しくなる予定も見えているのに、

 普通の人より2日も多く休むなんて非常識。」


「ただでさえみんなの足を引っ張ってるのに、自分のことばっかり考えてるな。」



そんなこと言われて嫌な気しかしなかったけれど、

ゴビマラソンを走ることは去年の11月から決まっていたことだ。


僕が選んだことだ。


休みの間、職場のみんなに助けてもらうことも事実だし、

そう思われても仕方がない。


他人に迷惑かけてでも行く。


僕が選んだことだから、その責任は受け止める。

だから、そういった言葉も全て受け止めた。



その上で僕は言った。


「僕が走るのは、挑戦することで自信をつけるためなんです。


自信をつけて自立した人生を生きるためです。


過去に他人に依存して生きることで自分の人生を見失ったことがある。

うつになったことがある。


もうそうなることは嫌なんです。


僕が選んだこのことについて批判があるなら

それは受け止める覚悟はできています。


それでも僕は走ります。」



そんなようなことを口走ったと思う。



普段小心者で上司に口答えなどできない僕だったけど、

強い想いが言葉になって出てきた。


自分でもびっくりしたくらいだった。




許可を貰えなくても休んで行くしかないと思っていたけれど、

一応許可をもらえることとなった。



僕が休んでいる間も会社は動いてる。

誰かが代わってやってくれる事実。


上司の話は正直嫌な気持ちでしたが、

その点やはりありがたいことでした。





さて。



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