1km走って足がつっていた僕が、東海道53次を走ったら、ゴビマラソン250kmまで完走して世界一になった話。
テンションが高まっていたことか?とも思っていたけれど。
歩き筋は使い切っていたけれど、
走り筋は使っていなかったことが、それができた理由だった。
ただ、普段も5kmは走る練習を続けていたし、
その下地はできいたということだ。
そんなラストスパートを走ったおかげで、
「次はランで出られるね!」
なんて軽口を言われることになった。
(ウォークの部ではなく、ランの部で?)
(こんな僕ができるのか?)
その場では(そんなの無理だよ~)という言葉を飲み込んで、
否定もせずにやり過ごした。
否定した瞬間に、やらないことが決まってしまう。
言葉が人生をつくるということを感じ始めた時だった。
最後まで迷ったけれど、大きな挑戦として、ランで挑戦することにした。
ステージ5は駿府城から金谷駅。
初めてのラン。
ずっと息苦しいと思って走っていた。
できないかもしれない。
でも、ゆっくりの速度ならなんとか走ることができた。
初めてのランは野口さんが一緒に走ってくれた。
一人じゃきっとくじけていたけれど、隣で走る仲間がいたから頑張れた。
36kmをランで走りきり、金谷駅までの長い長い上り坂も走りきり、なんとかゴール!
ゴールではやりきった思いで泣き叫んだ。またもや感動だった。
本当は1日目だけでもランで走り切ったら、
二日目は無理せずウォークで出発しようと思っていた。
だけど、それをビバークで話したところ、「もちろん二日目もランだよね!」
と声をかけられ、周りに流されることで、不安ながらもランで走ることにした。
ステージ6は金谷駅から浜松城。
スタート直後の猛烈な上りと石畳にやられ、
さらにその後のお茶畠の上り坂もやられっぱなし。
きつすぎるだろ。
この二日目も野口さんが一緒に走ってくれた。途中からやすさんとも合流し、一緒に走った。
この日は関門が設定されていて、天龍川を17時に渡り終えることだった。
時間はギリギリ。橋の手前では余裕があると思っていたら、
橋が長く、渡り終えたときには時間ギリギリだった。
すっかり日は落ちて真っ暗な中、なんとか浜松城にたどり着いた。
ゴールではペロちゃんが迎えてくれた。
走りきり、限界を超えたこのステージに、
そして頑張った自分自身に感動して泣いた。
その6.痛みの限界とその先の奇跡
このステージでひざを痛めてしまい、
次のステージ7、8は再びウォークで参戦。
ステージ7は浜松城から豊橋。
ステージ8は豊橋から鳴海駅まで。
浜松城からの旅は池町さんおすすめのうなぎ屋にも入れて、
始めて余裕のあるマラニックを楽しめた気がした。
ビバークでは近くの酵素風呂に入ったし、
えっちゃん&ゆうもん結婚式もあったし、
松田さんの裸足ランニング講座もあり、充実したビバークだった。
翌朝はアーリースタートを使っての再び60km。
アーリースタートでは最初のエイド開設が間に合わず、
コンビニで自主休憩となったが、そこで気がついた。
(エイドでは補給食や水分を補給してるだけじゃないんだ。
仲間からの心からの応援が、やっぱり走り続けるエネルギーになってるんだ。)
御油宿を過ぎてからの長い上りを歩いているとき。
ピキッときて、飛び跳ねた。
いきなり膝の痛みがマックスに。
(まずい。まだまだゴールは遠いのに。。)
一緒に歩いていた仲間に血糖値を上げて脳をだますと体が動くことを教わり、
甘めのドリンクやコンビニでのスイーツを摂取。
コンビニで購入した氷を膝に当てつつ、
なんとか藤川宿までたどり着いた。
そこでは2つのコペルニクスと出会った。
一つ目は修造さんが吐いたセリフ。
「今から氷を当ててるなんて。。」
(そうだよな。かわいそうだろ、俺。)
(もうゴールまでは無理かもしれませんって言われるのかな。)
「良かったですね!」
(へっ?!)
「やっぱり泣きながらゴールするくらいじゃないと楽しめないですよ!」
「何もなくゴールしたって感動できないんです。
だからこの困難をのりこえることで感動できますよ!」
(こんなに痛いのに、何言ってんだ、こいつ)
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