1km走って足がつっていた僕が、東海道53次を走ったら、ゴビマラソン250kmまで完走して世界一になった話。

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でも、一歩だけなら歩ける。もう一歩だけなら歩ける。


一歩二歩、一歩二歩。

ただ、目の前の一歩を踏み出すことだけに集中した。


母親と小さな子供が手をつないでてくてく歩く。

おばあちゃんが杖をつきながらヨボヨボ歩く。


僕の歩みはそれ以上に遅かった。


山さんは途中途中振り返りながら待ってくれた。

そんな気持ちもありがたく、そして頼っていた。


お祭りの真っ只中、必死の形相で一歩二歩、一歩二歩。


そしてついに。


小田原駅のゴールにたどり着いた。



「やっったぁぁぁ!!」


苦しみの涙は、今度は喜びの涙になっていた。


苦しかったぶん、やりきったことが嬉しかった。


魂が震えた感動、衝撃、喜びというものを味わった瞬間だった。


ただ一方で、

(こんなつらいこと、もう二度とやるもんか!)

そう思ったのも事実。



しかし、そこで杉ちゃんが言ったんだ。


「人間、辛かったところは、次回必ず強くなってるんだよ。」


・・・


帰宅後、歩くこともままならない状態。

両足湿布だらけ。


足がカッカして熱くて痛くて眠れない。

寝返りうつたびに痛みで目がさめた。

筋肉痛は1週間続いた。



ようやく痛みも和らいできた頃、粛々と胸に残る言葉を思い出した。


(・・・人間、辛かったところは、次回必ず強くなってるんだよ・・・)


(本当に強くなってるのかなぁ?)

(こんなに痛いのに、次回はもっと余裕になってるのかなぁ?)


(もし、そうなれるのなら、いいなぁ。)


このままやめてしまうのが楽。

でも、この距離に痛みと苦しみの記憶が残る。トラウマになる。


もし次もやって、余裕ができていたら、いいなぁ。

そんな自分も見てみたいなぁ。


そんな思いで、ステージ3、4にも挑戦することにしたのでした。




その4.セミナーコンテスト


この東海道UMを始める前のこと。

セミナー講師になりたいと思って挑戦したことがあった。


それが通称セミナー講師の甲子園。

日本パーソナルブランド協会が主催するセミナーコンテストだ。


その頃の僕は自分自身がうつ病になり、そこから立ち直ってきた経験、

自分のなかに自信を持ち、軸を育ててきた経験を人に役立てたいと思っていた。


そして今回この東海道UMの経験をセミナーに盛り込むことにした。

僕自身の中で心を震わせた経験から言えること。


感動した経験。

できた!という喜び。

ゴールまでは一歩一歩の積み重ねということ。


そういう話をするためには、

もっともっと大きな挑戦、さらなる成長する経験をしなくては。


そんな思いもまた、東海道UMにまた挑戦する後押しとなっていた。


だからこそ、セミナーする度に距離も増え、体重も減り、

自信もエネルギーも高めることができていった。


その結果、第24回セミナーコンテスト東京大会では、

第2位になることができたのだと思う。







その5.何度も限界。涙の数だけ強くなる。


ステージ3は箱根超え。

1日目で痛くなるのはもうわかっていたけれど、想像範囲内だった。


ステージ4は60km最長ステージ。

富士山を見ながら長い道を歩き続けた。


夜明けから歩き始めて、すっかり暗くなるまで歩き続けた。

足の裏は燃えるように熱かった。


それでも駿府城までのラスト3kmは花ちゃんと合流してから、

なんとランニングでゴールまで走った。



自分でもなぜそんなことができたのか、当時は不思議なことだった。

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