facebookでメッセージを送った相手が次の日死んでしまった話 カネ無し・コネ無し・コトバ無し・英検5級で海外で仕事①
こんばんは。
田舎で地域づくりをしている圡田(つちだ)です。
私は東京で3年間工業デザイナーとして働き、その後青年海外協力隊として、先の戦争で激戦地であったフィリピン共和国レイテ島の町役場で2年半働いてました。
レイテ島では魚の保護区や養殖場、漁民の組織化を行いましたが、英語は喋れず、海外留学の経験も無く、言葉も金もコネも無い状態で、プロジェクトを立ち上げました。
こんな人間でしたが、プロジェクトが全て上手く回り円滑に進むことができたのは、2年半お世話になったホストマザーのおかげです。
日本に帰国してもうすぐ3年。
お世話になった相手はfacebookでやり取りしてましたが、2013年の台風で亡くなりました。
今回そのお話と、英検5級の僕が青年海外協力隊へ行った理由を書きます。
長いお話ですが、何かの役に立てれば幸いです。
【英検5級で試験を受け、外国で働く】
・・・外国へ行く前に、昔の話を書きます。
私は大学生のとき少年漫画を沢山描いてました。
漫画を描いては週刊少年ジャンプの集英社に送り、駄目なら持ち込みに行く日々。
漫画家を目指していた理由は簡単です。
それはただ単に「漫画を読むのが好きだから」です(笑)
しかし「読むこと」と「描くこと」は全く違い、いくら描いても駄目な日々。
応募しても落選落選のそのまた落選・・・。
応募に疑問を持ち、とうとう集英社へ持ち込みに行きました。
ワンピースみたいに描きたいのですが・・・
週刊少年ジャンプ集英社1階はファミリーレストランのようなボックス席が沢山ありました。
そこで僕より若い子が、もの凄く上手い漫画を描いてました。
それを見て思いました。
漫画家になるのは諦めよう・・・
そして漫画家になることを諦め就職活動に専念。
工業高校、工業大学と工業系の知識があったため、事務メーカーにて工業デザイナーとして、
東京で働くことになりました。
社会人時代は働いて働いて働きました。
休日深夜サービス残業なんて当たり前です。
毎日デザインのことばかり考え、雑誌を見たり美術館に行ったりと、仕事以外でも
24時間デザインのことしか考えていませんでした。
青春時代でしたが、仕事に没頭するあまり恋愛もせず、とにかく無我夢中で
工業デザイナーとして名を上げようと必死でした。
今思えば「もう少し遊んでおけば良かったなぁ」と思いますが、
1つのことに夢中になる私であるため、遊ぶ事も一切しませんでした。
さらにデザインの勉強をするため、休日は書店で雑誌を購入し美術館へ行きました。
そのときは、東京都写真美術館に行き午前中は作品(写真)を見て回りました。
おそらくどんな美術館好きな方も、1〜2時間あれば美術館は見れてしまいます。
1時間かけて美術館を見た後「これからどうしようかな?」と暢気に思っていたとき、
美術館付属の小さな映画館があることに気がつきました。
その映画館はB級映画やドキュメンタリー映画しか上映しない映画館でしたが、
フィリピンのゴミ問題を題材にした「バスーラ」という映画が上映されていました。
それだけなら私は秋葉原で趣味のパソコン部品をジャンクコーナーから漁りに行きますが、当時バスーラの監督である四ノ宮監督が映画館に来ていたことや、監督の映画3本立てであったため時間が潰せ、監督にも質問できる機会があったため映画を見ることにしました。
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