facebookでメッセージを送った相手が次の日死んでしまった話 カネ無し・コネ無し・コトバ無し・英検5級で海外で仕事①
ホームステイ先でもティラピアはよく食べる。
魚の素揚げだが、ホストマザーの得意料理の1つであった。
漁獲した魚を売って、もう一度エサと稚魚を買い、養殖を行うこととした。
しかしここでまた問題が発生した。
青年海外協力隊は2年間しか任国に居れないのだ。
何とかならないのだが、何とかすることとした。
理由はこうだ
「圡田が帰国することによって、進行中のプロジェクトが止まり、漁民や町役場が迷惑をする。そため帰国日程を半年間延ばしてもらえないだろうか?By町長」・・・という手紙をJICAの所長と外務省に送るのだ。
出来るかどうか分からないが、町長からJICA宛に私の帰国日を延ばす要望書を送ってもらった。
そしてJICAから外務省へ手続きと相談を行ってもらった。
その結果、日本国大使館でパスポートを新しく作り直し、ビザも半年間延長させるという方法でフィリピン滞在半年間延長が決まった。
・・・何とかなるときは何とかなる。
そしてプロジェクトのまとめに入った。
僕が居なくても漁民のみで養殖場を運営、管理出来るように組織化しルールを決め漁業組織団体として責任を持たせるようにした。
1回目の養殖で得たお金で2回目の養殖を行う事もでき、町役場も自分の役場の手柄だと思い、視察等多数見に来るようになった。
これで行政、住民、漁民が関わり漁業と養殖で生活を支える仕組みを作り上げることができた。
帰国前、お金の無い漁民が僕のお別れパーティーをしてくれた。
お金が無いのに、どこから借金して食べ物を揃えたのか分からないが、その思いに僕は泣いた。
パーティーは昼から夜まで行われた。
夕方になると、近所の人や知らない人まで参加し盛大になっていた。
僕が彼らに与えた物は小さいことだが、この変化がフィリピンという国を大きく変えることが出来ればと思い、2013年4月日本に帰国した。
帰国後は日本から見守り、彼らが彼らのみで収益を上げられるようにしよう。
そう思い、facebookでメッセージだけやり取りするようになった。
世の中はとても便利になり、facebookでフィリピンの状況を文章や画像で確認することが出来る。
facebookはお喋り好きなフィリピン人に合うらしく、ホストファミリーの子供やホストマザーと毎週やり取りしていた。
誕生日の連絡やクリスマスのことや恋愛相談など、日本に居ながらコミニケーションを取ることができ、今後も上手くプロジェクトが進む気がしていた。
しかし、その予想は大きく外れることとなった。
2013年11月6日
この日フィリピン共和国レイテ島へ巨大台風が近づいていた。
この台風は約1週間前からフィリピンに直撃すると分かっていたが、台風慣れしたホストファミリーと日本に居る僕は「台風なんていつものことでしょ〜」と思っていた。
大きな台風が来ていたが何もアクションを取らなかった。
それが後になって大きな後悔となる。
2013年11月7日
ヤフーのトピックスでレイテ島へ直撃する台風が本当に巨大なものと知る。
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