【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語。第一章

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そうだ、そうだ!

こんなの勉強したって英語が話せるようにはならん!

だから、こんなの勉強しなくていい!


という勝手な判断で学校の英語の勉強は全然やらず、


相変わらず、

独学でじぶんがおもしろいと思ったことだけを勉強する日々でした。


一時期、外国人のマンツーマン英会話教室にも通わせてもらったけど、

そのレッスンも何だか楽しくなくて、3か月くらいで辞めてしまった。


 

今、思えば、その当時のわたしは「英語の壁」に

ぶち当たっていたようです。


そして、


「英語がペラペラ話せて、楽しんでる自分」


それが「理想のじぶん」なのに、


言いたいことの半分も英語で表現できない、

思うように意思疎通ができない現実に

強い劣等感とストレスを感じて、

その現実から逃げていた。


 

「英語が話せるようになりたい」という強い願望があるのに、

じぶんが「おもしろい」と思ったことしか

やらなかった、できなかったのは、


「英語の壁」が目の前に大きく立ちはだかっていて、

途方にくれていたのかもしれません。


 

こんな高校時代を送ったので、

英語の成績は可もなく不可もなくで、

大学進学の進路を決める時には、


先生から「英文科は難しい」と言われてしまいました。


そして、なぜか国語の成績がものすごく良かったので、

「国文科」進学を勧められた。


母親は、国文科に進んで図書館司書になれとか、

訳のわからんこと言うし。


いやいやいやいや、

国文科で勉強したいことなんて、

何もないから!


てか、英文科なんか行っても英語が話せるようにならんでしょ?


だったら、専門学校行きます。

英語の専門学校へ!


英語の専門学校だったら、

きっと、もっと英語が話せるようになるに違いない!


そう思って、わたしは専門学校へ進学したのでした。




さて、そんな中学生、高校生時代を過ごしていたわけですが、


英語を熱心に勉強する動機


となったQUEENには、

まだまだ全然、

これっぽっちも近づいていなかった。


と言うか、


片田舎の普通のいちファンに過ぎず、

また、親が厳しくて、

なかなかコンサートへ行く許可が出ず、

やっと許されたのは中3の夏。


時すでに遅しで、その年のQUEEN来日は終わったあとでした。


 


あと数ヶ月早く許してくれてたら、行けたのに。。。(´pωq`)


ということで、初QUEENコンサートは1982年のHot Spaceツアーの名古屋公演。


当時はファンクラブにも入っていなかったし、

QUEENファンの友達は1人もいませんでした。


近所に住む5歳上の従姉がKiller Queenの頃からのファンで、

唯一、QUEENの話をする相手でした。


その従姉が一緒に行くなら、と

親からコンサートに行くことを許されたのでした。

 


初めてのQUEENのコンサート。


当時はチケットぴあなんてものはなく、

チケット発売日にプレイガイドに並ぶか、

現金書留でチケットを申込むかたちでした。


わたしは現金書留で申込んだんですが、

届いたチケットは前から10列目のど真ん中通路横の席。


一歩通路に出ると、

じぶんとステージの間に遮るものは何もなく、

目の前にフレディがバーン!といて、


うををををーーーー!!


フレディーーーーー!!!


ヽ(≧▽≦)ノ


こんな間近でフレディが見れたことにものすごく感激したのを覚えてます。


本当に夢のような時間でした。


楽しくて楽しくて、

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