【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語 第二章
QUEENとの第一次接近遭遇から3年後の
1988年11月、わたしは娘を出産し、
元夫の転勤で神戸へ移り住みました。
わたしは知らない土地での初めての育児に翻弄され、
QUEENや英語に構っている余裕がなくなりました。
でも、いつQUEENが来日するやもしれんと、
新聞の興業欄の情報だけはチェックして、
「いつかまた、QUEENが来日したら、この子(娘)とコンサートに行きたい」
それがわたしの「夢」になっていました。
娘の育児中のわたしの唯一の楽しみは、
娘の世話の合間に洋画のビデオを見ることでした。
レンタルショップから借りてきたもの。
実家のWOWOWで録画してもらったもの。
それらを見まくっていました。
ある日、ふと、
「これ、字幕を見ないようにしたら英語の勉強になるんじゃないかな?」
そう思いついて、
字幕を見ないでセリフを聞き取るように心がけ
映画を観るようにしてました。
そんな日々を過ごしていた1991年3月。
MTVで久々にQUEENのPVを見ました。
QUEENは私の知らないあいだに
MiracleとInnuendoの2枚のアルバムをリリースしていた。
I'm Going Slightly Mad
このPVを見たわたしは、なにか不吉なものを感じました。
題名のとおり、狂気じみた映像と不思議な旋律。
それにも「おや?」とも思ったけど、
フレディの姿にただならぬものを感じたんです。
「え? こ、これ、フレディ?!」
わたしがQUEENから離れている間に、
フレディはかなりイメージが変わってしまっていました。
口ひげを生やしたマッチョだったフレディが、
ものすごく痩せてしまっている。
何かおかしい。
いったい、何が起きているんだろう。。。
ざわざわする気持ちを抱えたまま、
それでも、
だからといって、
当時はすぐさま情報収集する術も時間もなく、
相変わらず育児に追われていき、、、
1991年11月24日(日本時間)。
この日は娘を連れて実家に帰っていました。
テレビでニュースを見ていたら、
フレディが大写しになり
「QUEENのボーカリスト、フレディ・マーキュリーさんがHIV感染を公表しました」
ああ、、、、
わたしの不吉な予感はこれだったのか。。。
あと、どのくらい・・・?
もうQUEENのコンサートを見ることはできないのかな。
いろんな思いがないまぜになって、
悶々とした気持ちで一夜を過ごした翌日、
またニュースで、
「QUEENのフレディ・マーキュリーさんが現地時間24日夕方、自宅で亡くなりました」
最悪だ。
もうおしまいだ。
わたしの人生、終わった。
もう、夢も希望もない。
それから半年のことは、ほとんど記憶にない。
フレディの訃報は、しばらくは信じられなかった。
それを実感させたのは、
翌年1992年4月のフレディ追悼コンサート。
WOWOWで放送されることを知り、それに合わせて実家へ帰った。
第2部、残された3人のメンバーとゲストが入れ替わり立ち替わり、共演する。
そのうち、フレディも出てくるかもしれない。
出てきて
出てきて
出てきて!
でも、最後まで出てこなかった。
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