【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語 第三章

1 / 6 ページ

>
前話: 【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語 第二章
著者: いとう あゆ美

1995年春、名古屋へ戻ってきたわたしは、

1年間は英語とは関係のないパートをやっていましたが、


その後、マンションを購入し定住するところができたので、

ふたたび、英語の仕事を始めました。


今度は自宅で教室を開くのではなく、派遣講師として、

幼稚園や既存教室へ英語を教えに行く仕事を選びました。



そして、1998年夏。

わたしは、その後の運命を切り開いてくれた

魔法の「神器」を手に入れました。


それは、パソコン。


Rogerがインターネット配信でライヴをやるというのです!


インターネットでしか見れないライヴ。

パソコンがないと見れないライヴ。


当時は、やっとインターネットというものが一般家庭に普及しだした頃で、

でも、まだパソコンがないお家が少なくないという時代でした。


当然、わたしもパソコンの知識はゼロでしたが、

このライヴが見たい一心でパソコンを手に入れたのでした。


当時は「ダイヤルアップ回線」だったので、

ライヴ配信は、ほとんど「バッファ中」で

結局、全然まともに見れなかったというオチがあるのですが、


わたしはインターネットを大いに活用して、

オフィシャルファンクラブの会長Jackyとメル友になりました。


まだインターネット人口が少ない上、

英語で日本のQUEEN情報をメールする人が他に殆どいなかったようなので、

Jackyはわたしのメールをとても喜んでくれました。


こうして、オフィシャルファンクラブとわたしの信頼関係が作られていきました。



そして、1998年11月。

Brian May Bandが2回目の来日を果たします。


わたしは今回も名古屋と大阪の公演を見に行くことにしました。


名古屋は11月13日金曜日。

平日だったので、学校から帰ってきた娘を実家へ預けてから、

ライヴ会場のボトムラインへ。


お仲間が先に並んでいてくれたので、

夕方、開場時間ギリギリにそれに合流。


オールスタンディングで超満員。

キャットウォーク近くに場所を確保したけど、

ライヴ中は、何度か命の危険を感じるほどもみくちゃになりました。(^_^;)



そんな状況の中、わたしはステージ上のある人に釘付けになってしまいました。


Brianじゃないです。ww


サポートギタリストのJamie Moses



彼は前回の来日公演の時もいたのに、その時は全然目に入らなかったのです。

その存在すら、まったく気に留めていなかった。


それなのに、このライヴでわたしは彼にノックアウトされてしまったのです。(//∇//)


ライヴ後、

Brianご一行が泊まるホテルへ先回りして、Brianと13年ぶりにご対面。

13年前は何も言えなかったわたしが、Brian相手に喋る喋る。(^_^;)


Brianもバンドメンバーも、集まったファンへとても丁寧に優しく対応して、

一人一人と写真を撮ったり、サインしたり。


その場が暖かい空気に包まれていたのを覚えてます。


翌日は、Brianご一行と同じ新幹線で大阪へ。


前日にもたくさん話したからか、Brianはわたしをすっかり覚えてしまったようで、

ホームで新幹線を待つ間も、話しかけるとジョークを言ってきたりした。





「雲の上の存在」だった人が、気さくに話をしてくれる。

なんだか、とても「特別」な気分でした。


これも、英語が話せるようになったから

言いたいことが言えるようになったから



「QUEENのメンバーと話したい!」


「だから英語が話せるようになりたい!」


どっちも実現させちゃったのよ、わたし!!!



ここで満足して終わってもよかったのですが、

天は、フレディは、わたしをそこに留まることを許さなかったのです。



そのキーパーソンになったのが、サポートギタリストのJamie Moses。


彼との出会いで、わたしの運命がさらに大きく動いていくのでした。




Brian May Bandの名古屋公演で、

わたしは彼にすっかり心奪われてしまいました。

大阪ではBrianよりもJamieを追っかけ、

帰宅してからは、彼について調べまくり、

彼にファンレターやプレゼントを送りまくりました。


著者のいとう あゆ美さんに人生相談を申込む