【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語 第三章

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前話: 【ミーハーの一念、岩をも通す】「QUEENに会いたい!」子どもの頃の夢を実現させたわたしの物語 第二章

(猛アタック (^_^;))


最初はオフィシャルファンクラブのJackyが

それらの転送を買って出てくれていたのですが、


かなりな頻度なので(猛アタック(^_^;))、

そのうちJamieから直接メールが届くようになり、

彼ともメル友になったのでした。


Brianにも以前から手紙やプレゼントを時々送っていたのですが、

この98年の来日後に、

なぜか急に返事の手紙やクリスマスカードがよく届くようになりました。

 


翌99年。

私設ファンクラブShadow Queenの代表の方がもう活動を辞めるということになり、

ファンクラブは新たな代表を立て、

名前もPartners & Crimeと変えて活動することに。


それに伴って、それまで一会員だったわたしがスタッフとなり、

ホームページを開設することになりました。


ホームページでは、ファンクラブの紹介のほか、

主に海外のサイトから拾い集めてきたニュースを和訳して載せていました。


じぶんで言うのもナンですが、常に迅速かつ正確な情報を載せていたので、

たくさんのアクセスがあって、すぐに人気サイトになりました。


わたしはそれにとてもやり甲斐を感じて、

持てる情熱をすべてファンクラブ活動やホームページ運営に注ぎ込んでいきました。

 


当時、日本国内でファンクラブ活動をしていたのは

このPartners & Crimeだけだったこともあり、

オフィシャルファンクラブとの繋がりは一層強くなっていき、


2000年になったあたりから、

わたしはオフィシャルファンクラブのJackyからある相談事をされていました。


それは、

「日本でもファンコンベンションを開きたい」

というものでした。


ファンコンベンションというのは、

イギリスでは毎年行われているファンの集いで、

2~3泊の泊りがけでQUEEN三昧をするというものです。


そのコンベンションを日本でも開催したいというのです。


日本でコンベンションが開かれるなんて

わたしにとっても願ってもないことだったので、

日本だったら、どんな形で開催できるのか、

いろいろ検討を始めました。


ところが、話が進むに従って、Jackyが


「もし私(オフィシャルファンクラブ)が主催でやるなら、

プロフェッショナルな内容でないといけないけど、それを日本でやる自信がない」

と尻込みをし始め、


「オフィシャルファンクラブが全面バックアップするから、

あなたたち(Partners & Crime)が主催してコンベンションを開催してほしい」


と言い出したのです。



スポンサーも資金もない、普通のファンが運営してる私設ファンクラブに、

そんな大きなイベントを開催する力があるのか?


きっと無理だ。


でも、、、。


すでに「日本でコンベンション開催」の夢に向かって走り出していた私たちは、

今さら諦める気にはなれず、


「ええぃ、やったるわい!!」


かくして、Jackyの来日に合わせて日程を組み、

試験的な「プチコンベンション」として、


2002年11月8日、

新宿で日本初のオフィシャルファンコンベンションを開催したのでした。



参加者100名弱の小規模だったけど、

「日本でもコンベンションを!」

という同じ想いを持ったファンが集まり、


日本で初めてのオフィシャルコンベンションは大いに盛り上がりました。




これは何としても次に繋げなくては。


「日本でもコンベンションを定期的に開催すること」


これが次のわたしの夢になりました。


 


話が前後しますが、わたしは私設ファンクラブの活動の他に、

99年に「名Q会」という東海地区のファンサークルを発足。


また、Jamieのファンサイトも運営管理して、

世界中のJamieファンと交流していました。

 


今思うと、よくまあやってたもんだと。


まだパートではあったけれど仕事もして、

母親であり家庭を守る主婦でもあった。


何足わらじ履いてたのか??


いったい、どうやって時間のやりくりをしてたんだか…。


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