資本主義は富の格差を、ソーシャルメディアは幸せの格差を生む。

著者: 溝部 拓郎
意外に『詳しく聞きたい!』が押されたので、ぱぱっと書いてみます!

SNSがもたらしたもの


皆さん、今日も元気にソーシャルメディアを利用していますか?(^^)
Twitter, Facebook, mixi, etc....沢山のソーシャルメディアの台頭によって、私達は世の中の情報を瞬時に共有する事が出来るようになりました。

しかし、とは言っても、ほとんどの人の使い方は、ボストンで発生したテロの最新情報を入手するとか、最新の経済ニュースを仕入れる等の使い方ではなく
友達がどんなことしてるかな?
編集
とか、または
今日はこんな楽しい事があったから、ちょっと呟こうかな?
編集
とか、そんな使い方が過半数を占めると思います。
要するに、
  1. 閲覧サイドは、主に身近な人の情報を何となく知るために使用している
  2. 発信サイドは、多くの人が即時性の高いポジティブな情報を発信するために使用している

と言った形で利用されています。

結果、何が起きたか。


Facebookではこの傾向が特に顕著ですが、大多数の人が、ソーシャルメディアで『自慢』とまではいかないまでも、ちょっとした羨ましがられるようなこと、嬉しい事、楽しい事を中心にポストするようになりました。

Facebookのいいね!は、いいな〜!であり、羨ましい気持ちの遠回しな表現です。
そしてFacebookでは、サービスの設計上、いいね!が沢山集まった投稿はより拡散されやすく、そうでない投稿はよりひっそりと扱われるようになります。

これは資本主義と同様の構造で、富める者は、ますます富むのです。
(あんまり理論は覚えてないですが、資本論を唱えたマルクスは資本の蓄積と拡大再生産により、格差が発生すると唱えています。)

そして、言い換えると、人の羨望を集める人は、さらに羨望を集めるような構造をソーシャルメディアは作り上げました。

マズローの欲求段階説を踏まえると・・?


マズローの欲求段階説でよく知られているように、人は根源的欲求の他に、『人に認められたい』という承認欲求を持ちます。

そして、これは絶対的なものではなく、相対的に感じるもので、『他の人と比べて』どうか、という類のものです。
少し言い方を変えると、承認欲求は、みんなが感じられるものではなく、一部の人の承認欲求が、満たされれば、一部の人は自分が他の人を認めた分、自分も認められたいと感じ、それを渇望してしまうような、『誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる』ゼロサムゲームに近い性質を持っています。

ゆりちゃん、美味しそうなモノ食べてていいな。。
編集

と思い、いいねボタンを押してしまったら、その時点でゆりちゃんの承認欲求は満たされ、逆に私の承認欲求は積もるばかりになってしまうのです。

本質的に、人の承認欲求による幸せはゼロサムゲームであり、ソーシャルメディアは、それを資本主義化し、その勢いを一気に加速させました。

巷で言われるソーシャル疲れの本質は、ここにあると私は考えています。

幸せの格差を生む、ソーシャルメディア。
資本主義社会は、格差の進行を是正するために、民主主義制度と、富の再分配等、様々な制度が導入されています。
富の格差は、進めば進むほどその勢いは加速し、その差が縮まることがないのは学術的・統計的に明らかだからです。

それでは、幸せの格差を生むソーシャルメディアを止めるものは、一体何なのでしょうか・・?

今日もいいね!を押してしまったあなた、幸せ、吸われていませんか?

著者の溝部 拓郎さんに人生相談を申込む