マクドナルドで役立たずだった僕が、仏像彫刻家として生きて行くまでの話

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著者: 安本 篤人

このまま大学生活を続けて社会に出ても、

仏師として生きて行く道には交わらないだろう。

ここで弟子入りのチャンスを逃したら一生後悔する。

だから両親が何と言おうとも、弟子入りすることを決めた。


それから1ヶ月間、

両親は反対し続けたが僕は弟子入りの準備を突き進めた。

そんな僕に根負けした両親は、最後には前向きに送り出してくれた。


「体には気をつけなさい」


両親から愛のある言葉を受け取り、僕は師匠の元へ弟子入りした。




幸運にもすんなりと弟子入りした僕だったが、

当たり前のように修行は厳しかった。


住むところはあったけれど、お金はほとんどもらえない。

朝早くから夜遅くまで修行が続き、毎日とにかく眠かった。


修行と言っても、師匠はほとんど教えてはくれない。

技術を習得するには、師匠の動きを盗み見るしかなかった。

じっと見ていると師匠から怒鳴られるのだ。

だから僕は、自分の手を止めないようにし、

こっそりと師匠の手元を見る術を覚えた。


兄弟子との関係も厳しかった。

どんなに理不尽なことを言われようと、間違っていようと、

逆らうことは絶対に許されなかった。


修業とは別に、

プライベートな時間を削って兄弟子の使い走りもした。

フィリピンパブで働いている兄弟子の彼女を見張るのは僕の役割だった。


寒空の下、きらびやかなフィリピンパブを見ていると

「富山まで来て僕は何をやっているんだろう」と悲しくなったが、

これも修行の一つだと言い聞かせ暗闇に身を隠した。


兄弟子は、怒り始めたら説教が止まらなくなる。

しかも僕の部屋で、僕が少ない小遣いで買ったお酒を飲みながらだ。

説教は、長いときでは6時間。

その間中僕は、正座をしたまま「はい、すみません」とだけ言い続けた。


自分で決めた道を貫くためや。ここは我慢や!


僕は何度も自分に言い聞かせて耐え続けた。


しかし、最後の日はやって来た。

兄弟子とのトラブルだった。

弟子になって2年が経とうとしたとき、

あまりにも理不尽なことばかりされ続けた僕は、

とうとう歯向かってしまったのだ。

歯向かうというか、泣きながら訴えたのだった。


僕はただ、仏像彫刻を学びたかっただけなのに……!


悲しいことにトラブルの原因は、

彫刻とは離れたところで起こったことだった。

しかし、歯向かったことに変わりはない。

僕の言い訳は何一つ聞き入れられず、結局僕は工房をクビになった。


挫折と挑戦と、さらなるどん底





奈良の実家に戻ってきてから、僕は大学に復学した。

反対を押し切って出て行ったのに、

帰ってきた息子をすんなり受け入れてくれたのは両親の愛情だろう。


帰ってきてからも、時々一人で仏像彫刻をしていた。


消化しきれなかったのだ。


親に反対してまで決めた仏師としての道。

工房をクビになったとはいえ、途中で逃げ出したことには変わりない。

あんなにも固く誓ったのに。


仏師として一人前になって、生活していくと決めたのに。


——お前は逃げたんだ。


どこかから聞こえる声が僕を責め続けた。

「うつ病」と言われるまでに時間はかからなかった。


人が怖い。電話が怖い。テレビも怖い。


何も見たくない。

何も聞きたくない。


起き上がることも難しい。

少しでも体を起こしていると、辛くなって寝込んでしまう。

それの繰り返しだった。


親の反対を押し切ってまで信じた道を踏み外した。


僕は何をしているんだろう……


やり直して社会で普通に働けばいい。

だけど、なれない。


苦しかった。

悔しかった。

情けなかった。


どうしようもない僕は、少しだけ彫刻刀を握ってみることにした。

趣味でもいい、なんでもいい、

仏像彫刻に触れていよう、そう思った。


初めは、5分でも座っているだけで辛くなり、倒れ込んだ。

次の日はその時間が10分に延びた。

その次の日は15分……のはずが、1分も起きていられない。

3日休んでは、また5分間……。

それの繰り返しだった。

進んだと思ったら後退して、全く動けない日々。


のろのろと時間だけが過ぎた。

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