【合格体験記】学年最下位から全国模試で1位になって京都大学に合格した話

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ということを両親に説得する必要がありました。






しかし、


頑固者の父親に口で言ってもムダでした。




だから、誠意で勝負しました。



僕は父の目の前で勉強しました。


見えるところで、これみよがしに勉強し続ける。



リビングで勉強し、あえて英語の音読をすることで、


父親がテレビを見ているのを妨害したりしました。








結果、僕の誠意が通じたのか、浪人を許してくれました。




ただ、「受かるまで家の敷居をまたぐな」と、予備校の寮に入ることになりました。








=====【③】浪人時代=====

大手予備校のクラス分けで京大コースに振り分けられた僕は、


京大と東大を目指すメンバーの中でひときわ成績が悪く、


しかし、その分だけギラギラしていました。




授業は必ず一番前の席に座り、


「100万円も予備校に突っ込んだんだから、絶対受かるぞ!」


と意気込んでいました。




もちろん、


ほかの浪人生も勉強を頑張ってはいました。




しかし、普通の浪人生の頑張りは、ゴールデンウィークまで。






だんだん、授業中に寝る人が出てきたり、


志望を下げて、東大京大クラスから1つ下のクラスに行く人が出たりするようになりました。


大きな教室では空席が目立つようになりました。






唯一、11月まで空気が変わらなかったのは寮の自習室。




120人ほどが住む予備校の寮には、


15席ほどの自習室がありました。


ただ、自習室に来て勉強する人は限られていました。




僕は毎日のように自習室で勉強し続けました。


そうすると、


自習室で勉強する人はみんな仲間になっていき、


だんだん座席も固定席のようになっていきました。






志望校は東大、京大、早稲田、青山学院大…


てんでバラバラなのに、


少しずつ仲良くなっていきました。




とくに、青学を受ける人なんて、めちゃめちゃオシャレボーイだったので、


ずっとジャージを着ていた僕なんて、性格は水と油のはずですが、


一緒に勉強しているうちに仲良くなりました。



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