【合格体験記】学年最下位から全国模試で1位になって京都大学に合格した話
京大を受けるためにホテルを取り、試験前日は会場の下見に行きました。
「次は、百万遍。百万遍」
バスのアナウンスが、7年ぶりの再会を告げました。
7年前と同じ場所に、京都大学はありました。
「○○を許すな!」「××反対!」「△△を弾劾せよ!!」と書かれた真っ赤な看板がいくつもいくつもありました。
そして、その時には、看板に書かれてある意味が分かりました。
「弾劾」を「ダンガイ」と読むことも、「身分のある人の不正をあばき、責任を問うこと」という意味も、
日本史では1914年にシーメンス事件で内閣総理大臣山本権兵衛が弾劾に近い形で総辞職に追い込まれたことも、
参考書や予備校の授業で勉強したことがツラツラと出てきました。
看板の内容は「3.11」を経て、原発に関するものが多く、
国を批判する看板がずらっと並んでいました。
また、京大の校長先生(総長といいます)は学生に人気が無かったために
「総長は独裁をやめろ!」
といった看板もたくさんありました。
過激派の看板だけではなくてサークルの宣伝の看板が多いこともわかりました。
久しぶりに見た京大は、
小学生の時に見た京大と、何も変わっていませんでした。
ただ、僕は少し目が悪くなっていて、
少し知識が増えていて、
少し勉強で疲れていて、
そして、ものすごく緊張していました。
翌日、試験会場に、僕は破れたパンツをはいて行きました。
浪人を決めたときから、僕は試験の時は毎回同じ服を着るようにしていました。
シャツは古着屋で買った真っ赤なシャツ。
インナーは高校のクラスで作ったオリジナルTシャツ。
ズボンは迷彩服。
そして、パンツは藍色のパンツ。
すべての模試や試験で、毎回同じ格好をしていました。
しかし、浪人時代は模試が多くあり、
試験もセンター試験をはじめとして数多くありました。
すべての試験で同じのパンツをはくために、
何度も洗濯し、連続して模試があるたびにむりやり乾かしてはきました。
結果、パンツに穴が空いてしまったのですが、
僕は穴あきのパンツをずっとはき続けました。
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