元獣医アーティストが一年かけて地球を一周してアート活動してくるまでの話3

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そもそも、今のこの絵は、音楽が流れている環境では「描けない」のだ。


それは私が文章を書いている時と同じ状態で、物語を脳内に描いている際、音楽が聞こえていると集中力が妨げられ、制作ができないのだ。

<枝、拾い過ぎた先生 pen on paper, 2017>

たとえばこの「枝、拾い過ぎた先生」は、無口で家の中にいるのが好きな性格。
粉のお茶を少し溶かした湯呑をもって部屋の隅に立ち尽くす日々を過ごしている。
テレビの音の邪魔をしないように、自分で音を立てないように細心の注意を払って暮らしている。
白米をじゅうたんに撒き、足の裏で踏むのが好き。


そうしたキャラクターの「暮らし」をすべて分かった上で制作している。
そこが以前の絵との大きな違いだ。
前は、着火点となる「印象」はあれど、その後はなんとなく線が進むままに描いていた。


さまざまな分野で才能を発揮したレオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンは、解剖学を理解した上で描かれていると言われている。私は長い間、そのことを頭で理解はしていたけれど、実感として分かってはいなかった。


私は獣医大学に通っていた時に解剖学を習っていたし、骨や細胞のデッサンも授業の中で行っていた。臨床医として、手術も経験したことがある。それでも、筋肉や臓器が中に存在するように描く、というのが感覚的に分からなかった。内部を想像して制作できるかどうかは、実際に臓器に触れたことがあるかどうかには寄らないのだと思う。

<世界を一つの生き物と見立て、その姿を心象即写するシリーズ「今日の世界くん」>


この作品は、生物・無生物を区別なく一つの生命として描写していくというシリーズだ。

気持ち、音、感覚的な何か、昨日の出来事。

そういった形すら持たない「何か」が、一つの生命として形作られた時に、どんな日常を生きているのか、彼らの日常を書き留めたもの。


好きに描いていた前の絵とは、創られ方がまったく違う。
つまり、画面には見えない部分の創りこみがまったく違うのだ。

同時に、「見えない」部分、内部を理解して描くということが私にもようやく腑に落ちた。
それは「見えない」ものがリアルに、生き生きと存在していることが「完全に」分かっているということだ。


■現代アートをスポーツと思って鑑賞するという提案

とてもキレイとは思えない、意味が分からない。

そういう作品が異常な高額で取引されることもあり、現代アートという存在は一般から遠ざかっている印象がある。私はこの面白い世界を、もう少し広く、多くの人に楽しんでもらえたらと思っているので、意味が分からないものを楽しめる方法についても、合わせて考えてみた。


提案したいのは、現代アートをスポーツと考えて鑑賞する方法だ。
多くのスポーツには「勝ち負け」が存在する。


現代アートもまた同じくだ。

強い(良い)作品が勝ち残り、弱い(ダメな)作品は消えていく。


良し悪しがないのもいいけど、勝ち負けがあるからこそ感動を呼ぶものもある。
その最たるものがスポーツじゃないだろうか。


私は以前、バスケが好きでよく見に行っていた。
北は仙台、南は福岡まで行くほどだったから、けっこうなハマり具合だった。
まだ全然バスケが知られていないJBLの頃、セミファイナル最終戦で応援しているチームが負けた時には泣いて帰るほどだったから、相当にハマっていた笑。


それまではスポーツにハマる人の気持ちがまったく分からなかったけど、今は遠くまで試合を見に行く「ファン」の気持ちがよく分かる。サッカーワールドカップの決勝で、「どちらも頑張ったんだから、両方優勝させて!」なんて滑稽な話だ。


選手と一緒に勝利を喜び、敗戦を悔しがる。
勝敗があるからこそ、「平等」では味わえない感動がある。


私はいい作品を見ると、「ヤラレタ、負けた」とひそかに思う。
0対100でぼろくそに負けたと。


しかし、自分は選手の一人なので、作家たちの華麗なプレーに感動し、憧れる。


まだ見ぬ才能の芽をいち早く発見し、世に送り出すこと。
海上雅臣氏はそれが楽しいのだと言っていた。


コレクターなど多くアート関係者も、そのように楽しみながら、現代アートという舞台に参戦しているのだろう。

同時に、アーティストはその世界の中で揉まれながら育てられていく。
現代アートにはスポーツのように明確なルールがない。
ある意味、作家自身がルールをつくっていくものだとも言える。
そんな世界で成長をつづける作家を、2軍から1軍、レギュラーへと活躍の場を広げていく選手を見るように楽しむのもおもしろいのではないだろうか。

そして作家の成長を追ううちに、気に入った作家がつくる「意味不明な」ものを、一緒に楽しみ、読み解こうとする気持ちも芽生えるのではないかと思う。


■ネット販売という可能性

さて、日本を出てから私は、インターネットで作品の販売も始めた。決して高額ではないけれど、多くの人が購入してくれたおかげで、出国してから売れた作品はこれまでに全部で43点となった。


私は自分自身が現代アートの作家であることを好んで選んでいるけれど、好きな絵を描いて生活していければよいというのであれば、これからの世界では、ネット販売で十分にその可能性があると感じた。


素晴らしい作品をつくり、それを気に入って買う人がいる。
マーケットが十分に成立しているし、あえてギャラリーを介する必要もないだろう。
発表したいというのであれば、国内であろうと海外であろうと、レンタルギャラリーを借りればすぐに実現できる。


ギャラリーの手数料は通常、販売額の50%だ(ギャラリーによる)。つまり、1万円で作品が売れれば、作家は5000円の中で制作実費、額装費、制作のための生活費を捻出することになる。ネットで直接販売すれば、実入りが多いため、生活自体も少し楽になるはずだ。


しかし、それでも私はギャラリーを介して作品を発表したいと思う。

一度、ギャラリーでの個展を体験した人には分かると思うが、世界の中に自分がつくった空間があるというのは、作家にとってたまらない娯楽なのだ。同時に、企画展(ギャラリー主催の展示でアーティストは展示費用を払わない)ができるギャラリーとの出会いは、期待値のみで実績のない若手の作家に「創る」喜びを実感させてくれる。


正直に言って、若手作家の収益だけでギャラリー運営をしていくのはかなり難しい。
広告費、運営費、人件費、DM作成費、ギャラリースペースの賃貸料などを、作品収益のみで賄うには、若手作家の作品は安すぎるし、売れなさすぎる。


ギャラリーに企画展ができるだけの体力があるということは、先輩作家の活躍のおかげで、ギャラリーが継続できるほどの運営費が稼げているか、そのギャラリーが運営できるほどのパトロンがいること、別の収入減があることを意味する。


企画展ができるギャラリーというのは、それだけの作家を見つけ、育てあげたギャラリーであるから、作家を見る目もある。ギャラリーに育てられた作家が、そのギャラリーで個展を行ってお金を落とし、その資金によって、新しい作家が育てられていく。

それは、成熟したアーティストの次世代への貢献だと思う。


今の私はまだまだそのレベルにはないが、いずれその舞台に立ち、これまで育ててくれたギャラリーや買い支えてくれた人たちに恩返しができれば、と考えている。


■「奴隷くん」と「作家」の違い

先日、「闇金ウシジマくん」を読んで感じたことがある。
実のところ、あれに出てくる闇金にお金を借りてまでパチンコにハマりまくる主婦「奴隷くん」に、自分はそっくりだと怖くなった。

現代アートという当たるかも当たらないかも分からないギャンブルに狂っている作家という奴隷。


だから、すべてを捨てていきなり現代アートを目指したいです!という人がいたら、私はまず止めると思う。ある程度の安定収入を確保しなさい、と。


私が割といきなりこういう世界に飛び込めたのは、「獣医師免許」という命綱があったからだ。

獣医大学には一度、社会人になってから改めて入学してくる人も多く、40歳を過ぎて初めて臨床の現場に立つ人もざらにいる。新卒で獣医大を卒業し、ブランクは長くてもキャリアが多少ある私は、万が一の場合にはやり直せる。
それが精神的な安心感となっているから、飛び出せた。


今は、少しずつ支えてくれる人、応援してくれる人が増えて、その人たちの存在が、免許よりもはるかに安心感を与えてくれる命綱になっている。そういうものが一切なく、いきなり飛び出していくとしたら、相当な精神的プレッシャーに耐えないといけない。


たぶん、私にはできない。


私にはその状態で、見えないものを彫り進めていくだけの余裕がもてないと思う。
客観的に自分が「奴隷くん」だと思ったら、怖いし情けないしで、続けてなんていられないはずだ。


あるいは最初からそれができる人は、天才なのかもしれない。
残念ながら私はそうではないし、身の程を知った臆病者だ。
もちろん、できるというなら、いくらでも飛び出していけばいいと思う。


さて、最初に「奴隷くん」と言ったが、奴隷くんと作家には決定的な違いがある。
どちらも人生を賭けた「中毒」にかかっているのは確かだ。

村上隆氏は35歳を過ぎてもコンビニの裏で弁当をもらいに行き、悩んでいた時期のことを著作に綴っている。


村上氏は最初の賭けには勝った。
それでも歴史に残る作家になるかどうかはまだ分からない。

しかし、作家には「情熱」が伴う。

創りたいという熱量がある。


そこに惹かれて、何の実績もない自分を応援してくれる人がいるかもしれない。

自分が創りたいものへの情熱を失わないこと、それが自分を「奴隷くん」ではなく「作家」に変えてくれると思う。


そして支える人も、応援したいと思う人、好きな作品を無理のない範囲で買って欲しいと思う^^

そうやって、応援する側、される側に押しつけでない喜びの循環が生まれ、相乗効果をもたらすことができたらいいと思う。


■次の「現代アート」に期待すること

結局のところ、作品を創ればなんでも売れるのが現代アートではない。
必死で突き詰め、それを継続できた人だけが残っていく。

それでよかったと思う。


私の好きな現代アートが、簡単に大金を稼ぐための商品になって欲しくないから。
お手軽に創ったものが簡単に売れてたまるかだ。


見えるものにも、「見えない」ものにも価値があるのだと、多くの人が実感できるもの。
それが人類が創る最先端のアートであって欲しい。


私はそう願う。

2017.06.07 フィンランド最古の町トゥルクより、Ouma


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