~ずっと自分が嫌いだった。いつも生きにくくて苦しかった~ 【それでも。。。そんな私でも、私らしく、自分に優しく生きれるようになったよ】
【最初に】あまり愉しい話ではないかもしれないです(笑)
小さい頃から私は、いつも自分の中のどこかで《生きにくさ》を感じていました。
「なにに?」
と問われても当時の私には「?」なレベル(笑)。
それすら解っていない子供なりの《漠然とした生きにくさ》でした。
周りには
笑うことも
泣くことも
ほとんどしない
静かで大人びた
勉強もそこそこ出来て
運動もそこそこ出来て
友達もそれなりに居る
問題を起こすこともほとんどない
言うこともよく聞く
手の掛からない
女の子に映っていたと思います
思春期に差し掛かる頃
ひとつの変化が起きました。
思春期ならではの恋☆
「好きな人に好きになってもらいたい!」
「可愛くなりたい!」
特別太っていたわけではなかったけれど、
それでも《痩せて可愛くなること》で相手に振り向いてもらえると思った私。
結果1ヶ月半で10キロ近いダイエットに成功しました。
中学2年の夏休み
10キロ近い体重の現象はバナナ1本も食べるのにやっとな体へと変化していました。
私の変化に両親はなんの反応も見せず、
学校の先生と友達だけが
あたふたとしてました(笑)。
摂食障害はその後5年以上に渡って
拒食↔️過食嘔吐
のバイオリズムで私と共に居ました。
理由の解らない《生きにくさ》は
思春期の心の成長と共に
誤魔化しや隠しが効かない程に
私の心を揺さぶり始めてきました。
「生きたい!」
なにかに満たされない飢え続けた心は、
そう渇望して止まなくなってきたのです。
ちょうどその時期、
世で言う「非行」の行動を始める同級生達もちらほらと出てきました。
学校や保護者、地域の人達は
そうした同級生達の行動をなんとか食い止めようと必死に動き、「非行」を否定していました。
でも私にはそうした同級生達が、とても自由に映りました。
自分の中の思いや
社会や大人達に感じる違和感を
正直に表現している
ぶつけている。。。
それが私には「必死に生きている」ように映り私は私をさらけ出せない自分の臆病さに、
さらに苦しくもなっていきました。
その頃の私は
心の中の苦しさを 孤独を吐き出すかのように
一晩中我を忘れて感情のままに紙に色をぶつけていました。
もしくはノートに詩を書き綴っていました。
答えが欲しくて本も読み漁ってました。
気になる心理学や哲学書を片っ端から手にして。
答えが欲しかったんですね~。
やがてそんな私を
周りの大人達は規制し始めました。
「もっと中学生らしく」
「無駄なことは考えなくていい」
それが困り果てた大人達の、言葉でした(苦笑)。
「どうしてみんな当たり前のように生きてるの?」
生きにくい理由すら解らない私の心の飢えは
皮肉なことに
満たされるどころかどんどん増幅し
やがてリストカットや自殺願望へと
行動は変化してゆきました。
やがて中学卒業を迎えた私は、
数ヶ月に及ぶ色々な出来事の末に
親の望む高校入学を一旦は受け入れたものの、
どうしても「生きたい!」渇望に諦めがつけられず、入学前に自主退学しました。
そして
これ以上大好きな親を困らせたくないと
理解不能な娘の私が居ると迷惑を掛けると思い、家をそっと出てひとりで生きてゆくことを選んだのでした。
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