アデランスの思い出
世間は運動会シーズンらしいですな。
この時期に「飲みにでも・・・」って話しが出ても「あ。次の日子供の運動会で早起きしないといけないから・・・」ってなることも多い。
自分の親なんかもそうだったのだろうか?と思う今日この頃。
で、記憶を呼び覚ましてみる。ってかあんまり覚えてないので自分が園児だった頃の運動会写真を思い出してみる。
あ。そういえば・・・親父(昨年没)のその頃の写真、ハゲてたな・・・ おでこが太陽に光輝き、後髪をなびかせて走る親父の姿(写真)を思い出す。
確か「若ハゲ」ってレベルじゃなく既に「なまはげ」って感じではげてたぞ。
当時、俺5才。親父35才。
よし。おれはハゲなかった。改めて安堵。
岩野一族は「ハゲのサラブレッド」と言われ続けて数世代。
先祖代々波平スタイル。 「お前はハゲる。」と幼子の頃から言われ続けた岩野兄弟。
何故今になって変異したのかは分からないが、少なくとも自分と兄貴は小さい頃から将来ハゲる事への心の準備を怠ることはなかった。
はっきり言ってかなり覚悟してた。禿げたら潔く坊主頭にすると。
もっと詳しく言うと「カツラは絶対イヤだ。」と心に決めていた。
自分が小学校4年生くらいの時の話し。
「アデラ~ン~ス~」
というコマーシャルが頻繁に流れていた当時。
そのコマーシャルを見た母親がふざけ半分で電話したある日曜の昼。
その電話からわずか数時間後。
日曜昼の怠惰な岩野家リビングにはスーツを着込んだ二人のサラリーマンが居座っていた。
そしてその二人は生真面目に、そして手際よく親父の頭をいじくり回していた。
ちなみにその時の親父の姿勢。うつむき加減に正座。
親父、いじられる事数十分か数時間か覚えていないが、その後サラリーマンがカツラの形状について事細かに説明。その場で見積提出。すばらしい手際。
「さ、さ、さ、さんじゅうまんえん~??!!」 母親の驚きの声がリビングに響いた。
「いえ。これは定期的に洗濯しないといけないので、スペアが必要です。だから30万円×2で60万円です。」とサラリーマン。
「・・・・」母絶句。
しかし、既に親父の頭の型まで取られており断るに断れなくなっていた両親。
やむなく購入。
そして数日後。黒くて大きなイソギンチャクの様な物体(×2)が岩野家に届いた。
「ろくじゅうまん・・・・」あきらめがつかない風の母。
翌朝、入念にイソギンチャクを頭部に装着する父。
そして翌々朝、「俺、もうこれ絶対に付けないからな!」と断言した父。
当時子供だった私には何故1日しか付けないのか理解出来なかった。
しかし大人になった今は想像出来る。
アデランス初日が父にとってどれほど過酷だったかということを。
(当時アデランスは段階的に増毛するような利用者に対する心のケアが欠けていた)
それから岩野家テレビから「アデラ~ン~ス~」という声が聞こえてくると不機嫌になってた母。
時たま、考え事してるなーとか思ってると 「ろくじゅうまん・・・・」って呟いていた母。
しばらく後、「ま、いいか。どうせあんた達が将来必要になるやろうけん。2つあるけん、あんた(兄)とあんた(私)で一個づつね。」ということであきらめたらしい母。
子供ながらに「いや、スペアが・・・」と思った私。
そのアデランス(スペア込)が今どこにあるのか。
親父が亡くなった今となっては謎である。
そして親父がおっちんだ約1年後。うちに息子誕生。
私とアニキが禿げなかった時、親戚一同「ハゲは隔世遺伝らしいな。」と。
ちなみに嫁の父親もハゲである。
結果、私の息子は「ハゲのサラブレッド三世」と呼ばれる宿命を背負ってしまった。
ちなみにうちの父親はハゲをギャグにするタイプだったのですが嫁の父親にハゲネタは御法度です。
それに関するネタもあるのですが・・・・
今回反響があったら画付きでその辺の微妙な空気を表現したいと思いますのでご意見の程、宜しくお願い致します。
著者の岩野 亨さんに人生相談を申込む
著者の岩野 亨さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます