ミュージシャンのボクしか出来ない世界で1つの「親孝行」

3 / 8 ページ




模試では、2割しかとったことのない、ボクが採用されたのは


まぎれもなく母親のおかげだと思う。




手術は成功した。


「完治」と医師からは聞いた。






_________________________________










翌年、ボクは教師として、黒板の前にたっていた。


次の日曜日、初めての参観で保護者の方々がこられる。


そのタイミングで、教頭先生に無理なお願いをした。


「母親を参観に呼びたいんです。」










なぜか。







理由は、母親に元気になって欲しかったから。


これがボクの中での最高の親孝行だと信じてやまなかった。


とにかく早く親孝行がしたかった。


したくて、したくて、どうしようもなかった。





















そう・・・「がん」は再発していた。






「完治」したはずなのに。お医者さんの嘘つき。


ちなみに


兄とボクだけには、その余命も告げられた。






教頭先生は、特別に話を通してくれた。


そして母親は、ボクの授業を観に来てくれた。




泣いていた。





その涙を見て、少しくらいは親孝行が出来たと思った。


だが母親は


なぜか「・・・つらい」と一言ボクに告げた。




この頃のボクには、その意味がわからなかった。








著者の難波 はっちまはろさんに人生相談を申込む

著者の難波 はっちまはろさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。