ミュージシャンのボクしか出来ない世界で1つの「親孝行」
ちなみに母の「がん」は、一度も転移したことはなかった。
珍しいパターンらしく(浸潤性のもの)
同じところに何度も何度も出てきては
皮膚やら内蔵やら骨やら神経やら・・・
すべてをすこしずつ食いつぶしていく
タチの悪い「がん」だった。
その後、母は何度か手術をした。
しかし、もう手術する場所など残されていない。
散々苦労してきた母親が
なんで、まだ苦しめられないといけないのか。
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ボクは今でも忘れない。
あの時の、あの声、あの目。
「生きたい!わたしはまだ生きる!治す!治して一緒においしいご飯食べよ!!」
母は必死だった。
口内炎が出来すぎて、ボロボロになった母の口元。
腰の骨が痛くて毎日悲鳴をあげていた。
個室で泣き叫んでいたのを覚えている。
痛み止めの麻薬の量が多くて、どんどんわけのわからないことを言い出すようになった。
意識がなくなってご飯が食べれなくなった。
手を握ると「痛い」と泣いた。
どんどん黄色くなっていく肌。
むくんでくる体。
不安で仕方なくて、母は発狂していた。
それを毎日、ぼくは見ていた。
家族の誰よりそばにいた。
トイレだって手伝えるようになった。
だって、全然、親孝行できなかったから。
もっと親孝行したかった。もっともっとしたかった。
だが、無情にも
母と子の願いは
叶わなかった。
最後まで決して
希望を見失ったわけではなかった。
母には生きる力があった。
医者に「無理」と言われたことも、可能にしてきた母。
「年内は越えられない」と言われたが、正月を家で迎えた母。
「二度と歩けない」と言われたが、歩いてみせた母。
完全に心臓が止まったのに戻ってきた母。
奇跡をたくさん見せてくれた母。
だからこそ、そんな母の「生」を、ボクも信じずにはいられなかった。
本当にまた元気になってくれると思わせてくれた。
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