ミュージシャンのボクしか出来ない世界で1つの「親孝行」

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「ゆきは、死んでもうたんか?」



「ゆきは、死んでもうたんか?」





何度も何度も聞きました。





「そうやで、お母さんは死んだんやで」



「そうやで、お母さんは死んだんやで」




「そうやで、お母さんは死んだんやで」




「そうやで、お母さんは死んだんやで」



ボクは何度も何度も答えました。






その度に二人して泣いたのを覚えています。











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そして、お通夜、お葬式、告別式・・・すべてが終わりました。




ボクは心に大きなダメージが残っていました。




母が亡くなる前に介護休暇をとり、母の見舞いと、祖母の面倒をしなければならなかったからです。

(そういう環境だったことは、紛れもなく公務員としての保証があったからだと、本当に感謝しています。)








母と向き合い続けた結果、「やっぱりダメだった」ことが、あまりにつらかった。



母に関わり続けた自分自身に対し、

「もっと出来ることはなかったのか?」と責任を感じてしまいました。


そしてはボクは・・・







ボクは「パニック障害」になりました。


発作が数時間おきに起こりました。


本当に苦しかったです。




けれど、その時に


『親を亡くした東北の子どもたちや、残された家族は?』




と、ふと思いました。


きっとつらいだろうな。もっとつらくて、苦しんだろうな。


涙が止まりませんでした。






母親は亡くなる1週間前に教えてくれました。




「あなたは一番自由やねんで。やりたいことやったらええねん。」






自由・・・?




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