ミュージシャンのボクしか出来ない世界で1つの「親孝行」

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「・・・つらい」


と参観の日に呟いた母の言葉・・・いや、いろいろな言葉の意味がやっとつながった。






「親不孝」な自分を責める母親と「親孝行」の意味を履き違えていたボク。

自分のせいで貧乏な生活を強いていたのに、

それを払拭しようとする息子の頑張りに胸が張り裂ける思いだったのかもしれない。



まるで、命が交差したのを感じた。





家の中で、フラッシュバックに苦しみながら、働くこともできず、


うずくまってる・・・この、ボクが自由・・・??


薬で眠たくなりながら、手にとっていたのはギターでした。

幼い頃から、つらいとき、苦しいときは、いつもボロボロのギターと一緒でした。





ギターを掴んでから、メロディーにならぬメロディーを歌い、歌詞にならぬ歌詞を叫びました。




約一ヶ月間、毎日毎日歌い、毎日毎日叫び続けたことを覚えています。





電話がかかってきました。


ボクの安否と状態を確認するために校長先生から、よく電話がかかってきたので、今日もその電話かと確認せずに出ました。




すると・・・・「3月11日ライブに出てもらわれへんかな?」


ん?校長先生じゃない。


ですが「はい。」と答えているボクでした。




母の死から一ヶ月経ってもいない、3・11。


大阪にある梅田スカイビルの特設ステージで歌いました。


ただただ、無我夢中というか我武者羅でした。




ボクの周りにいたのは


東北復興への志の高い人たちばかりでした。


なぜアーティストがこぞって、歌い出したのか・・・


・・・ボクには、はっきり意味がわかりました。




「歌なら、ここからでも届く」


ということなんやね。




「生きてること」と


「死んでること」との


距離でさえも、


歌にはあまり関係ないことに気づきました。




一ヶ月間、歌い続けたから、きっとあなたに届いたんやね。




だから、お母さんは


『もっとたくさんの人たちに歌ってあげてや』


って言うてくれたんやね。




亡くなった方たちへ


残された方たちへ


そして・・・




・・・我が最愛の母へ。


「お母さん、産んでくれて、ほんまにありがとう。育ててくれてありがとう。大好きやで。」



すべてを終えボクは泣き叫びました。

幼い頃の記憶、ずっと支えてくれた優しい笑顔が浮かびました。


ボクのお母さんは、本当に周囲を笑顔にする「天才」でした。




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