父と継母と会う(29歳)

前話: 働くってなんだろう(25~28歳)
次話: ばあちゃん(30~31歳)
著者: 橋本 隆生

自分の中で色々なモヤモヤがありましたが、金を稼がないと生きていけない。
そう思ってなんとか仕事を続けようともがいていたある日、
会社からある書類の提出を求められました。

それは『身元保証書』です。
 

本来であれば、それは親や兄弟などに書いてもらうのが一般的だと思います。
僕は会社の上司に聞きました。


僕:あの…やっぱりこれって親に書いてもらうものですよね…?

上司:当たり前だろ!ご両親は健在なんだろ?

僕:………。まぁ…そうですね。ただあまり仲良くなくて…。

上司:親には感謝をしなきゃ駄目だぞ!きちんと会って書いてもらってこい!

僕:……。はい。分かりました。


親との関係を話すことができない僕はなにも言えませんでした。
そして、また出た!いつもの言葉…って思いました。

”親には感謝しろ”
”親の事を悪く言ったら駄目”
”親孝行しろ”

これまでも親のことを人に聞かれた時に
だいたい最後に言われる言葉です。

とはいえ僕も深くは家庭の話をしなかったので、
相手も決して悪気はなかったのだと、今は思いますが
当時は、この言葉を言われると本当に嫌だったし腹が立ちました。
”言われた言葉の意味も理解できねーし、
一般家庭で育った人はなにも分かってねーんだよ!” って。

とにかく会社に書類を出さなきゃいけない僕は困りました。
家などの契約は保証会社を使うなどしてなんとか乗り切ってきたのですが、
今度ばかりはそうはいきません。

仕方ない…本当に仕方ないけど…会うか。
親の電話番号だけは知っていたので、

連絡をして親に会いに行きました。ある決意をして。
話すのも会うのも、おそらく10年ぶり位です。

久しぶりに会った父と継母。
背中がゾワゾワっとしました。
そして心の奥から湧き出る熱湯のような感情。
コイツらのせいでオレは今までどれだけ…。
暴れたい気持ちを抑えて、手短に用件を伝えた後に身元保証書を書いてもらいました。

書いてもらって、『ハイ、さよなら!』とはいきません。
父は色々と聞いてきました。


父:お前、今なにやってるんだ?

僕:……。まぁ普通に働いているよ。

父:お前には、いつかオレの会社を継いでもらうぞ。

僕:は…?

父:今までお前は好き勝手に生きてきたんだし、いい加減に落ち着け。

僕:好き勝手…?好き勝手なことをしてきたと思ってるの?

父:当たり前だろ!児童養護施設だって金がかかってたんだし、高校出てからもフラフラ遊んでたんだろ?

僕:お前さ…本当うるさいよ…。今までオレがどんな思いをして生きてきたと思ってんだよ…。

父:なんだと…!お前、親に向かってなんだその口の聞き方は!?

僕:もう…本当…この家無理だわ。もう二度と帰らねーよ!お前らもさっさとくたばっちまえよ!!


そう言い放って僕は家を飛び出しました。

全力で走りました。
今までの嫌だったことが一気に溢れ出てきました。

小学生の頃、たまらなく人の家庭が羨ましいと思ったこと。

自殺したくてもできなかった自分自身への怒り。
中学生の頃、寒い中電話BOXで野宿したこと。
食べる物がなくて道に落ちている食べ物を口にした時のこと。
施設で嫌だったことの数々。
高校一年の頃、先輩にいびられていたこと。
高校出てから悩んだことの数々。
親についてを人に話せないこと。

僕は、親が変わっていれば
そして今までの事も謝ってくれれば
本当はこの時に、親と和解したかったのです。
親戚も全くいない僕は、本当に本当に頼れる存在がいません。
それを考えると凄く絶望的な気持ちになります。
親に頼らず一人で生きていくことの限界を感じていました。
そして、生きていくには相談できる絶対的な存在が必要。そしてそれはきっと親なんだよなぁ…。
そう思い始めていました。
どんな親でも…どんなクソみたいな親でも…残念ながら親は親。
認めたくないけど認めざるを得ないくらい追い込まれていたのです。全てにおいて。

身元保証書の書類の事もありましたが、
だからこそ親と会う決意をしたのです。
本当に嫌だったけど。


でも…そんな思いは粉々にしました。
粉々にして踏みつけてやりたいくらいの気持ちでした。
”親と和解したい”という甘い考えをしてしまった自分にも腹が立ちました。

もう…もう絶対に…絶対に親とは会わない。
この時、そう心に深く刻みました。

 

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ばあちゃん(30~31歳)