節電虫の誕生 4.2 成長期待と挫折 4.2.2 羽化しても飛ばない節電虫(益虫)は虫かごの中

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著者: Karl Kamamoto

 前述のように節電虫(益虫)の試作機器開発から僅か半年弱の1994年12月21日に日経産業新聞の5面トップ記事として節電虫(益虫)は全国に報道された後、翌1995年2月には英文記事として THE NIKKEI WEEKLY https://1drv.ms/u/s!Ai_aaa4f_vZzgnn-ot9BFGCnqrLD?e=e3LGzK)で、そしてジェトロの NEW TECHNOLOGY JAPANhttps://1drv.ms/u/s!Ai_aaa4f_vZzgnaTNwr81EdwA-Ax?e=Uwj4Hm) で海外にも順次紹介され、更に4月までには英文2誌、CUMPUTER PRODUCTSTECHNO JAPANにも取材報道されるというモテモテぶりでした。まさに節電虫(益虫)の行く手は順風満帆と思わせてくれるのに充分でした。なにしろ、節電虫(益虫)開発開始からわずか一年未満の連続報道でしたから。

そこで、節電虫(益虫)開発開始一年を記念して、この年1995年5月には30台の節電虫(益虫)で無料試用キャンペーンと販売を試みました。しかし、想像したほどには節電虫(益虫)という名前は知られていませんでした。節電商品全般への知識も浸透していませんでしたし、更に節電への意識があまり高くない、などの理由もあり約半分は節電効果を確かめてもらうための無償供与に終わり、残り半分は売れないで在庫となりました。

過去一年間に7回も全国的規模、いや時には世界的な規模で記事紹介されたにもかかわらず、無惨な結果でした。

新しい商品を購入していただき、理解していただく難しさや厳しさが少しわかったような気がしました。今までの私の業務内容(物品販売業ではありませんでした)では得られなかった教訓でした。唯一救いがあるとすれば、この時期に何百、何千という節電虫(益虫)を作らず、手作り製品で反応を確かめたために大きな痛手を受けなかった、ということでした。

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