フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話(高校留学時代編)
でも、担任に相談する前に自分で申し込んで
しまったので、
時すでに遅しだったが。
あとで知ったのだが、
この時の留学も
親戚の反対に合っている^^;
まぁジョホールバルに親子留学するときも
周りの反対の声はあったが、
この当時から、留学ということに対しては
賛否両論なのだろう。
さて、話が少しそれたが、
私の場合は、
学校に行きたくないという理由から、
留学することを決意したので
あまり例がないそう。
思い立ったら吉日ということで、
すぐに願書を出し、留学試験を受けた。
留学エージェントの
形だけの試験なので
特に問題なくパスした!
高校1年生の時に決意し、2年生の夏休みから留学ということに決まった。
ところが、
留学を決意して、試験を受けた時は、
行く気まんまんだったのだが、
高校生活にも慣れていき、
高2になったら、
この学校が結構楽しくなってしまい、
留学への気持ちが少しトーンダウンしていた・・・^^;
でも、
すでに
申し込みをしてしまっていたので、
後戻りでもできなかった。
それでは親にも申し訳ないこともあり、
16歳、高2の時に
この気持ちを振り切って、
アメリカに単身留学したのであった。
10ヶ月の留学生活。
この時の10ヶ月の経験が
その後の私の性格の土台を作ってくれた。
もう今から約20年も前のことだが、
その時のことは、
今でも鮮明に覚えている。
16歳まで海外に出たことがなかった私。
初海外が
アメリカへの留学であった。
不安と期待で入り混じった気持ち。
今でもあの時の複雑な気持ちは全く忘れていない。
高校時代の親友から
成田空港での見送りの時に手紙をもらい、
飛行機の中で読んで号泣。
離れるのは寂しいけど頑張ってね、
と温かい言葉が書いてあった。
その親友とは、
毎日文通をしていた。
彼女からの手紙が楽しみで
頻繁にやり取りしていたっけ・・・。
懐かしい。
でも、留学生活も一筋縄ではいかず・・・、
たくさんの困難があった。
まずホストファミリー。
交換留学の場合、
ホストファミリーの自宅に
滞在するのだが、
このホストファミリーが
私は、なかなか決まらなかったのである(;_;)
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