フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話(高校留学時代編)
家を追い出されたりした子もいた・・・。
私の所には
ホストシスター(妹)が一人いた。
私が16歳のとき、
彼女は12歳。
とても頭のいい子で、
2年も学年を飛び級していた。
読書が大好きなので、語彙力があり、
沢山の英語を教えてくれた。
ホストパパもママも私のことを
本当の娘のように可愛がってくれた。
今でもこの時のホストファミリーとは
連絡をとっている。
ただ、悲しいことに
現在このファミリーは、
家族がバラバラになっている。
いわゆる家庭崩壊だ。

夫婦は離婚していないが、破綻。
(私がいた時から確かに喧嘩は激しかったが、
普段は仲の良い夫婦で、アメリカでは珍しく
離婚歴がない夫婦だったのに・・・。)
その子どもも親と縁を切ってしまった。
娘がレズビアンだったのだが、
それをカミング・アウトしたら
母娘の関係が壊れたそうだ・・・。
私のアメリカ留学生活は決して順風満帆なものではなかった。
英語の成績は悪くなかったので、
問題なくやっていけるだろうと思っていた私。
しかし、
発音が悪すぎて
全く通じず・・・(T_T)
さらに相手が
何を言っているかも殆ど分からず、
最初の数ヶ月は、
こんなはずでは・・・と意気消沈していた。
恥ずかしながら
学校初日の授業で、
「May I use my dictionary?」
訳)辞書をつかってもいいですか?
と言うのさえ通じなかった。
ある時は、
「この子は英語ができないから」と
目の前で悪口を言われたこともあった。
その頃は、だいぶヒアリング力はついていたので、
おもいっきり何を言っているか理解できていたのだが^^;
日本人だからということで
バカにされたこともあった。
さらに、極めつけが
スロバキアからの留学生を
自宅に招待したのだが
彼女の英語はとても上手。
うちのホストファミリーも
「来たばかりなのにあたたは、英語がとても上手ね!」
と私の目の前で言われ、
比較された思いで
とてもショックを受けたのである。
まぁ事実なので仕方がないのだが、
明らかに私に対して言っていることが分かったので
切なかった。
この日はなかなか英語が上達せず
ちょうど落ち込んでいる時だったので、
追い打ちをかける感じになってしまい、
悔しくて、涙がでた。
でもこういうことがあったからこそ、
1日も早く英語を話せるようになりたい!
と思い、常に英語で考えるようにし、
頑張ることができた。
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