フツーの主婦がサラリーマンの旦那を日本に置いて、マレーシアのジョホールバルに移住して起業してしまった話(高校留学時代編)

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この悔しさをバネに強くなれた!
今となっては、いい経験だ。
当時、
私は本当におとなしく、
人見知りも激しかったが、
アメリカで人見知りをしていてはしては
うまくやっていけない。
海外では
「自分はここにいる」
と主張しないと全然相手にしてもらえないので、
自己アピールを頑張ってするように努力した。
16歳の時のこの経験は、
私にとって深く衝撃を与え、
ずいぶんと性格が変わった。
自己主張をしないと生きていけないし、
英語力をつけるためにも
極力日本人の友だちは作らないようにした。

このように色々頑張れたのは、実はもう一つ理由があった。

それは留学をする前に、
交換留学をしたことがある
先輩を学校から紹介してもらったことだ。
その先輩たちに直接コンタクトをとり、
大学生であった先輩に直接会いに行き、
色々質問をさせていただいた。
留学にあたって
今できることや、
気を付けることなど、
更にはホストファミリーとの付き合い方、
帰国後のことなど、
たくさんのアドバイスを受けたのである。
母校の後輩からの連絡だから
みなさんとてもやさしく対応してくださり、
この時のアドバイスが大変役に立った。
この時に言われて印象的だったのは、
・日本人同士で固まらない
・英語の環境にどっぷり浸かる
・限られた期間なのだから精一杯英語・文化を学ぶ
・積極的に多くのイベントに参加する
などなど、
書くとキリがないが、
本などでは決して分からない、
大変貴重なお話を聞くことができた。
やはり実際の体験者に話を聞くのが一番だと痛感した。
この時の先輩のアドバイスのお陰で
たったの10ヶ月という期間であったが、
他の日本人学生と比べて
英語力が身につき、
とても実りのあるものになった。
留学したばかりの頃の私は、
引っ込み思案で
本当に自己主張ができない
おとなしい子だったので、
自分を変えたかった。
変わるきっかけが欲しかったのかもしれない。
16歳という多感な時期に
留学できたこと、
これは、私の財産になっている。
16歳という年齢の娘を
単身で海外留学させるということは、
両親にとって不安で仕方がなかっただろう。
親になった今ならよく分かる。
不安も沢山あった中、
費用を何とか工面して留学させてくれた両親に
感謝の気持でいっぱいだ。

この留学で得たものは

その後の私の人生の土台そのもの。
1年、親元を離れて過ごしたこの経験は

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