汝の道を行け そして人々の語るにまかせよ

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 もちろん、そうした努力ができたのも、アルバイトの仕事プログラムに参加できたのも、自分の病気である依存症と向き合い、12ステップを信じて取り組んできた背景があるわけですけど。

 どんどんステップの理解が深まって、過去の生き方と逆の方向に、いい方向に、真逆に生きて行くようになるんですね。ヤクザをしていた時代には得られなかった楽しさみたいな、ね。だんだんと理屈抜きに、とても楽に生きられるようになった。

 これが救いだったんですよ。とにかく昔のように虚勢を張らなくていい。肩の荷が下りた感じだったですね。自分を苦しめるだけの重い鎧を脱げば、こんなにも楽に生きられるんだって。

 進藤 いやぁ、それっていいアディクションですよね。とてもいい依存だ。回復が進めば、良いことのアディクションになってくるという手本ですね。とてもいい回復の姿ですね。

 栗原 私の場合、回復依存症?(笑)かな。

 進藤 そこに気づきというか、目覚めがあったのでしょうね、きっと。

あと僕は教会につながった依存の人たちに「明確に目標を立てなさい」とアドバイスしています。これも必要ですね。

 一年ごと、五年ごと、十年後…。で、「ゴールから自分を見なさい」といつも言ってます。目標を立てたところから今の自分を見る。そうすると今やっていることに活路というか、意味を見いだすことができる。

 僕はいつも、牧師になっている姿、あるいはよその教会や講演会に行って、自分がしゃべっている姿、人が相談に来て自分が答えている姿をイメージする。そういう形でイメージトレーニングする。そうして何年後かにそうなった時に、また自分に新たなイメージを再設定していく。

 もっと大きな教会ができていて、僕がそこに立っていて、目標を立てるということも、とても大切ですね。みんな一人ひとり、個人個人に面接したりして、ケアリングして計画を立てていると、いいと思います。

 「あなたはどうなりたいのか」「じゃあ、ここに向かって、こうしてどうか」と。あるいは「この目標を設定しましょう」という感じでね。

 そういうことを僕もやったりしますが、人それぞれ違いますよ。ゴールや目標に向かう距離も大きさもみんな違うから、設定の仕方は違うけど…。目標を立てていくことは重要だなと実感しています。

 

 ■就労という意味合いをもう少し広く考えたい

 そのー、目標という意味では、潮騒は着実な歩みに思えます。前の施設から数えれば八周年、ちょっと発展のスピードが速いかな、という気もするんですが。

 栗原 早いですね。

 進藤 実は今度の日曜日、僕たちも八周年記念なんです。

 えーっ、それって潮騒と一緒ですね。何か不思議な縁を感じますね。

 進藤 そういう意味では僕も潮騒との出会いに運命的なものを感じます。

 栗原 きちんとした目標があったわけではなくて、必要に迫られてどんどん大きくなってきた感じなんですよ。

 近藤さんじゃないけど、私たちアディクトは計画を立てたり、それに沿って地道に取り組むのが大の苦手なんです。むしろ私なんか計画を立てるより、目の前の現実に迫られてやってきた感じ。たまたま結果的に施設が充実してきたにすぎないですよ。

 このペースで行くと、まだまだ大きくなるんじゃないか、とね。でも、最近はブレーキをかけようとする自分がいます。まず、内容を変えよう、中味、ソフトを充実させてから次に手を出そうとね。

 それに、そろそろ入寮者の実態に合わせて終の棲家も考えなくてはならない。社会にも送り出していかなきゃいけない。

 もちろん出られる人はね。潮騒が終の棲家で幸せを感じられるのなら、それもいい。いろんなバリエーションに合わせて、適切な対応ができるようにしたい。

 いい形にグループ分けして、内容の充実を図っていけたらいいですね。ただ、施設を増やすだけ、間口を広くするだけじゃなくてね。

 潮騒の特色である就労支援も、もう少し広く考える必要がありそうですね。

 単に就職する、仕事にありつくだけではなくて、そのためには夜間の自助グループ通える構造とか、常に潮騒とのコミュニケーションがとれているような関係づくり、そういうようなネットワークを組むというような、いろんな仕掛けが必要だと思うんですが…。

 就労という意味合いをもう少し広く考えたいですね。

 栗原 例えば高齢の人たちは社会復帰して働くといっても、実態としてもう難しいわけですから、それに替わる何か、こう役に立っているという、ことですかね。ボランティアでも何でもいいから、自分が潮騒で役に立っている存在なんだと実感できる仕掛けみたいなものかな。

 私が言うと嘘っぽいですけど、何ものかに導かれていくというか、手助けされた自分が、今度はそれを返していく、これを教えていきたいですね。

 12ステップの最後は、苦しんでいる仲間への橋渡し、メッセージを伝えていくことです。これによって、自分がより高い回復のステージへと導かれると教えてくれています。

 それが自然な形で身につけばいいんでしょうが、いかんせん、そこまではなかなかステップを深められないのが施設の実情です。

 私もそうですが、みんな自我の壁をなかなか超えられません。自分を本当に内面から変えていく、過去と他人は変えられないけど、自分と明日は変えられる。そこまで自覚を深めたいですね。

 私はダルクにつながった時から、受け身ではダメで限界を感じています。個人的には決して性悪説の立場ではないんですが、依存症者は怠惰と紙一重のところにいると自分の経験からも考えるんです。

 だから、外から刺激を与える教育が必要なんだろう、と。その考えをずうっと持っています。それは今も捨てきれないでいます。教え込むということですかね。教えてもらったことはこっちに返しなさい、と。自分の回復の姿を見せているだけでは、どうも生ぬるい気がしてね。

 

 ■それまでの苦労がすべて簡単にパーになる

 進藤 プログラムに繰り込むとか、最初の二週間はそれを専門的に訓練するとかはどうでしょう。僕も人間って、やはり刷りこみだと思うんです。同じことを何度も何度も言わなきゃ分かんないし、言ってるだけではダメで手取り足とり教えなけりゃいけないときもある。

 だって何十年と堕落した生活をしてきた人が、「ハイ、分かりました」といっても、体が反抗しちゃうことがありますよ。人間って基本的に怠惰な側面は否定できないですよね。よほど自分を厳しく律しきれない限りは。

 栗原 だから、ダルクの自主性を優先させた依存症のケアだけでは生ぬるいのかな、と私も思います。私もダルクで回復してからは、ずいぶんと忍耐強くなりましたよ。待つことの大切さを日々、仲間を通して教えられていますから。

 でもね、苦労の末にやっと自分の居場所を手に入れたと思ったら、いつの間にかいなくなる。国の福祉制度の恩恵でケースワーカーの世話でやっと生活保護を付けることができるようになったと思ったら、いとも簡単に施設を飛び出る。

 施設を見限るのはいいとして、「それじゃあ、今まで刑務所にいた時に文通で私に書いてきた事はなんだったの?」と問いたい。みんなきれいごとに思えて、とても空しくなります。とにかく後ろ足で砂を掛けて出て行くような心情には参ります。それまでの苦労が、すべて簡単にパーになるわけですから。

 おまけに世話になった施設に今度は、中途で退寮した人たちが徒党を組むようにして外から施設の悪口を言い始める。施設にいる仲間を巻き込む形でね。

 だから施設内では予期しないトラブルの連続ですよ。わざわざ反施設的な行為に出る心情には悲しくなります。

 まあ、潮騒はあちこち欠陥だらけの施設かもしれないし、理想の施設のイメージを描いていたのに、現実は違ったので怒りが芽生えたのかもしれませんが…。でも、それって自分の、本人の問題だと思うんですよ。恐らく、どこに行っても同じことを繰り返すでしょう。

 進藤 そりゃあ、僕たちの教会でも、ここに漂着する人たちはみんな欠陥だらけで生きてきたわけだから、腹を括ってよほど自分の身体を打ち叩ける人じゃないと、プログラムどころじゃないですよ。

 どうしても尻を叩かないとダメな人もいますからね。うちだって、遅くとも朝八時には起きて掃除して、九時にはここに来ることになっているんですが、みんなが入る前に掃除しとけというのに、九時に来ても寝てたやつもいたからね。ほんとにヤル気あんのか、ってね。

 全部が全部ではないですけど、どうしても生活保護に頼らざるを得ない人もいる。それでアパート借りて個室に入れたら、すぐにシャブを使ってしまうこともありますからね。最初の指導というのは大事ですね。

 僕たちは二週間というものは、就職活動しなくていいよ、ただ僕のうしろについて来なさい、カバン持ちをしてくださいと言ってます。「真実の命を尊じたら」じゃないですけど、まず神様のこと、二週間だけは僕と一緒に居て神を感じること、何のためにいきているのか、それだけでも違う、まずここにいてから始める。

 新入訓練みたいですけどね。そんなにたくさんいるわけじゃないのでね。一人、二人ですからね。そういう行動ができるんですけど。

 

 ■精神が回復していけば肉体も回復していく

 いっそ潮騒の仲間たちもここの教会に通って、そういうことを一から勉強してもらったらいいかもしれないですね。

 栗原 まずは新入訓練を、ですかね。

 進藤 まず規則正しい生活ですよね、それをさせることが大事。まあ刑務所から来た人にはできますけどね。そうじゃない人もいますから、一日ぐらい寝ないでもできますから、「一日俺と一緒に寝ないでいろ」と。

 そろそろ時間もアレなんで一番の難題に入りたいと思います。いわゆる霊性の部分。スピリチュアルな部分のとらえ方なんですが、これについて考えたいと思います。

 霊的な回復と成長については依存症者自身もなかなか自覚が難しいし、まああえて説明する必要はないんですが、悪い癖で僕なんかどうしても解釈が先に立ってしまいます。

 このスピリチュアルな、霊的な部分のとらえ方というのは日本人には馴染みが薄く、理解しにくい部分だと思うんですが、進藤先生、何かうまい理解の仕方というのはありますか?

 進藤 うーん、ここは教会なんでねえ。もともとスピリチュアルな空間なんでしょうけど、スピリチュアルであるがゆえにサタンも働きますね。

 教会だけでなくダルクもそうだと思うんですけど、社会に帰ろうという時に、必ずサタンが働きます。いわば悪いスピリチュアルですけど、そことのせめぎ合いですよね。理屈じゃないところがあるじゃないですか。

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