汝の道を行け そして人々の語るにまかせよ
だって、僕も楽したいですもん。過去に楽してヤクザやってきたわけだから、そこはすごい葛藤がありました。せっかく受給できていた生活保護を返上するまでは、とても悩み抜きました。
■「沖縄は回復率がいい、みんな回復している」
そう言えば、僕の教会に足を運んでいた人で、こういう方がいらっしゃいました。
旦那さんに浮気で逃げられた50過ぎの女性です。ずうっと主婦をやっていた人ですから、年齢的にもなかなか仕事が見つからない。面接を受けても真っ先にはねられてしまう。とても途方に暮れていました。
なかなか働けない、仕事が見つからない、どうしたらいいですかって。運よく仕事に就くことができても、その人は続かない。収入がなくなってにっちもさっちも行かなくなって、生活に困窮するようになった。
じゃあいい仕事が見つかるまでの、ちょっとの間だけ生活保護のお世話になりましょう、となったんです。それで市の福祉に相談して生活保護をもらうようになりました。すると、今度はそれに頼り切りになってしまった。
その女性は生活保護を受給できるようになると、「旦那に逃げられて鬱になりました」とか言って、結局はずうっと3年間、生活保護をもらっています。一度楽をしちゃえば自立するという考えが薄らいじゃうのが人間ですよ。そこが生活保護を利用する場合の落とし穴なんですね。決して、その人を批判しているわけじゃないんですよ。
そこで僕が「他のダルクと違うなあ」と潮騒に魅力を感じたのは、ジョブトレーニングセンターという名前もそうなんですが、社会復帰して、いずれは生活保護から脱して納税者を目指す、という考え方に引かれたからなんです。そこは僕と考え方が一致しているんです。
今までのダルクを批判しているわけではなくて、まず依存者を刑務所に帰さない、スリップさせないで回復させる、とにかくシャブやらせない、薬物をやめ続ける、ということだけで終わらせていたものが、それだけではなくて社会復帰して将来は納税者を目指していく、と。
社会に出て自立した一人の人間、日本国民として納税をしていく。これって素晴らしいじゃないですか。社会復帰するにしても、国におんぶに抱っこ、お世話になるばかりじゃなくて自立した国民として、自分たちの力量で逆に国に対してお返しをしていく。
そういうビジョンを持ったダルクであるがゆえに、僕は潮騒にものすごく魅力を感じたんですよ。
実は僕、さっき話したように沖縄ダルクに2回ほど行きました。入寮者の皆さん、みんな元気でだいたい同じメンバーがいるんです。で、皆さん口をそろえる。「沖縄は回復率がいい、みんな回復している」って。
聞けば、回復率は80%ぐらい。すごいですよね。新しい人たちもいて、「進藤先生の本読みました、刑務所で」なんて言ってくれる。「おう、ありがとう」なんてね。もう3、4年いる人もいて、サーフィンやったりして元気なんです。
みんな一生懸命やっているんだけど、いかんせん働かない。確かに沖縄は雇用率が低いのは分かるんです。本土に比べたら雇用環境はよくないでしょう。
でも、彼らは働けると僕は思う。これは働かないからって責めるわけじゃないよ。でも、僕はもったいないと思う。そこまで回復しているんだったらね。
その点、潮騒は一歩踏み込んで納税者を目指して独自の就労支援の活動をやっているわけだから、沖縄だってできないことはないと僕は思うんだけどな。実際にはいろいろと難しい問題があるのかもしれないけどね。
でもって、僕と沖縄の施設長は仲良くてね。この前もここにきて礼拝の中で証しをしてくれました。僕と出会って彼は「僕はハイヤーパワーがキリストだと分かりました」と言って、洗礼も受けました。
その彼が運営する沖縄ダルクは、南の海のきれいな環境の中でみんなが解放されて、確かに回復率はいいんだろうと思うんですよ、確かに。
■潮騒ジョブの活動には深い共感を覚える
でも、その一方で困難な状況にもかかわらず潮騒はよく頑張っているなと思う。これからも目指してもらいたいですね、納税者への道を。
その何って言うのかな、依存者で終わるんじゃない、っていう気高い志の部分ね。たとえダルクの寮に入って、そこから出られなかったとしても、今度は新たに来る人を助けていく、という流れが築けたら本当に素晴らしいと思う。
ただの生活保護受給者で一生いるんではなくて、ダルクの一員として他の人たちをサポートしていく。薬物依存から立ち直ったことにプラスして、そこから社会に出て、一生懸命に働いて納税義務を果たしたなら、世間の人たちのダルクや依存症を見る目も変わっていくと思うんですよ。
僕は自分自身が、ヤク中として生きていくことが一つのミッション、使命であると思っています。腐れヤクザ、ポン中ヤクザだった者が神様と出会って回心し、少なからず納税していくことができるまでになった。そういう自分自身の体験からしても、潮騒ジョブの活動には深い共感を覚えます。
僕はその納税者になってという、栗原さんのアレ(ファイザープロジェクト報告書)を見て、感動しました。自分もそれを目指して、そこまで行って本当の証しだと想ってます。しかも私は三十歳、栗原さんは倍の六十歳にして回復の道を歩み始めたんですからね。
みんな口では「年齢なんて関係ないよ」と言います。でも、そうは言いながらも、みんな年齢をいい訳にしている。人間って、どうしてもできないことばかり数える傾向があるでしょう。
確かに現実は、僕らができること、その可能性は少ないかもしれないけど、できないことばっかり数えていては展望が見えない。どうしても自分の心の中で、できることを断念していくわけですよ。
でも僕はみんなに、「できないことなんか数えるな。まずできることを見いだして、ここから行こうぜ!」と言っているんですけどね。
―そうした前向きな、ポジティブな姿勢って必要ですよね。それで一歩話しを進めますけど、個人的にはダルクにおける回復とは何か、という原点の部分を考え直す時期にきているのかな、って思うんです。
潮騒の場合、幸か不幸かダルクの中では後発で、しかも独立の経緯にちょっとしたボタンの掛け違いというか、内紛というか、内輪もめみたいなトラブルがあって、それが尾を引いて、ずうっと孤立無縁な状態が続いたんですね。
独立心の強い栗原施設長が志を同じくする仲間達と新しいダルクを立ち上げたんですけど、一部のダルクからは「あれはダルクじゃない。新宿のホームレスを集めて金儲けをしている貧困ビジネスだ」なんていう汚名をきせられ、自分たちの仲間じゃないという差別的な扱いを受けてきた経緯があるんです。
おまけに「ダルクを名乗るな」という締め付けがあったりしたもんだから、悩んだ末に栗原施設長が近藤さんに相談した。すると近藤さんが「ダルクを名乗らずに未来志向でやればいい。これから絶対に必要になる就労支援に特化した施設をつくればいい」と助言してくれた。
それで栗原施設長が発奮して「それならいっそのこと、ここ鹿嶋で本格的なジョブトレーニングセンターをつくろう」となったわけです。
■地の利を生かした潮騒農業プロジェクトに発展
進藤 いい形ですね。その流れは素晴らしい。
―ご承知のようにダルクは創設の経緯もあって当初はカトリック教会の支援に支えられてきました。今も古参のダルクは既得権といえば語弊があるけど、カトリック教会と信者さんたちに支えられて割合、支援の形がしっかりしているようなところがあります。
信者を中心に強固な支援会が組織され、それとは別に家族会の支援や下支えがある。活動実績が長いから人的なネットワークも広くなっているので献金も寄せられる。うらやましい限りです。
これに対し、新しくできたダルクはどこもかしこも苦しい台所事情で、施設運営費のやり繰りに四苦八苦している。潮騒も周囲の支援や地元に強固な根っこがなく、支援者も少ないです。いわば、ないない尽くしの状況下で頑張ってきたわけです。
そういうなかで、就労支援に力を入れる方向性を打ち出し、これを特色としたダルク関連団体として生き延びようと試行錯誤しています。例えば、仕事プログラムで、シルバー人材センターがやっているような雑用や、あまり日本人がやらない3K労働のような仕事を地元で積極的に引き受けて、独自の取り組みをしてきました。
その苦労が報われ、前年度から大手製薬会社ファイザー社の助成事業である「ファイザープログラム」にも選定され、地の利を生かした潮騒農業プロジェクトに発展してきた。今も取り組みが続いていますけど、これは潮騒にとって大きな自信につながっています。
最近は、ほかのダルクでもそういうことを意識し始めているようですが、そういう意味では今回のプロジェクトは就労支援の先鞭をつける、全国のモデルケースになるかなと思っています。
でも、なかなか道は険しい。今回開くフォーラムの事前告知についても薬家連(NPO法人・全国薬物依存症者家族連合会)などは、なかなか取り上げてくれない。「潮騒はダルクとは違う、別な団体だから」と。そこで進藤先生に救いを求めたわけですが…。
一連の経緯を踏まえて栗原施設長どうですか。何かご意見をお願いします。
栗原 先ほど話に出た生活保護についてですが、私も刑務所を出所して運よくダルクにつながった時に、まったくお金がなかったので2年半ほど生活保護の恩恵を受けたんです。
それが、ある程度自力で暮らせるかな、という見通しが見えてきた時に思い切って生保を切りました。進藤先生と同じように、とても葛藤がありましたね。
ましてや給料をもらうようになってからは税金ですよね。収益があれば納税の義務が生じる。きちんと税金の申告をしなければならない。
うかつにも社会人として生きることはこんなに大変なことなんだ、とその時初めて気づかされた。とにかく払った経験がないもんだから、税金を払うことには、とても抵抗感がありました。
まあ納税は国民の義務だというのは頭では分かっていても、できれば払いたくないというのが人情でしょう。多くの国民の偽らざる本音、正直な気持ちですよね。でも今は考えが切り替わりました。やっと一人前の社会人になれたかな、という感じです。
進藤 うれしいですね。僕もこんなになれるとは思わなかった(笑)。
■「困難な障害者なんだから我々を重んぜよ」
―以前から気になっているんですが、ダルクの中に献金に頼る体質ってあるじゃないですか。それが当たり前になっている。「こんなに困っているんだから、助けてください」と。それもいいんだけど…。
でも、毎回押しつけがましいかのうように、献金の振り込み用紙がニュースレターと一緒に送りつけられると、「またかよ!」って思ってしまう。怒られるかもしれないですけど、「困難な障害者なんだから我々を重んぜよ」というような高慢な態度に思えることがある。
苦しい台所事情なのでいつも綱渡りの運営だから、ダルクに金銭的な余裕がないのは理回できるけど、気持ちの余裕もなくなっているのかな、とね。どうもあちこちのダルクに謙虚さがなくなっているようにも思えるんですが…。
逆に潮騒なんかは、どうにかして社会に貢献しようとしてきましたよね。自力で収益構造をつくろうと、自助努力している。その辺りはどうですか。
栗原 私がつながったダルクでは表向きは就労を意識した運営をしていたんです。私も比較的、早い段階から施設側が提案してくれた仕事プログラムに参加しました。きつい土木作業や建築現場などの重労働ばかりでした。
ただ、残念なことに労賃の多くは施設の収入になり、働いた入寮者個人にはあまり還元されなかった。でも、私は汚い仕事でも、与えられた仕事を一生懸命にやったんです。不思議なことに人の嫌がることを進んでやると、そのうちに何でもなくなるんですよね。
反対に避けようと思うと、嫌なことばかりが目についてしまう。気持ち次第というか、人間なんて単純なもので、心構え一つのところがあるでしょう。私にはそこで困難を乗り越えてきたという自負があります。
著者の進藤 龍也さんに人生相談を申込む
著者の進藤 龍也さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます