世界を変えた日本

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著者: Dra gon
身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし大和魂
死に臨んで、なおも祖国を守ろうとする「気概」に満ちた歌です。
松陰の生命は尽きました。
しかし、その壮絶な生涯と辞世の歌は志士たちの魂をつきうごかし
、維新の原動力になったのです。
▼日ロ戦争の勝利と歴史の転換点
植民地化を逃れた日本は、すごい勢いで近代化を成し遂げていき
ます。
そして、他国との軋轢も出てきました。
1894年には日清戦争が起こり、日本は勝利。
アジアの超大国・清を打ち負かした日本は、世界に知られることに
なりました。
1904年2月、日露戦争勃発。
 
世界的軍事大国ロシアとの戦いにむかう私たちのご先祖様たちは
、何を思ったのでしょうか? 
 
ロシアの皇帝・政治家をはじめ、日本が勝利すると考える人は、ほ
とんどいなかったのです。
 
しかし、日本軍は203高地の戦い・奉天大会戦・バルチック艦隊を撃
破した日本海戦等、歴史に残る激戦を勝ち抜き、この戦争に勝利し
ます。
 
1905年10月、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により、
ポーツマス条約締結。
日本は、遼東半島の租借権、南満州鉄道を譲り受け、樺太半島の
南半分を獲得します。
 
有色人種ではじめて白人の大国に勝った日本。
日本の勝利で人類は「自由」「平等」に大きく前進しました。
 
日ロ戦争における日本の勝利は、世界でどのように受け取られた
のでしょうか?
 
私が毎回楽しみにし、「全日本国民に読ませたい」と常々願ってい
るメルマガ「国際派日本人養成講座」(JOG)
http://www.mag2.com/m/0000000699.html )
平成9年10月18日号から転載させていただきます。(太文字筆者)
【転載ここから】
 日露戦争の真実は、ロシアの南下をくい止めて、当時の帝国主義
時代に、日本が国家の安全と独立を保った、という点にあるが、そ
ればかりではない。当時の国際社会で、この日露戦争がどのように
受け止められたか、を以下に見てみよう。
・中国の国父孫文
どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパの圧迫
からぬけだすことができず、永久にヨーロッパの奴隷にならなけ
ればならないと考えたのです。(中略)
ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。
ヨーロッパに対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間
にこれがはじめてでした。
この戦争の影響がすぐ全アジアにつたわりますとアジアの全民
族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたので
あります。[4]
・インド・初代首相ジャワハルラル・ネルー
日本の戦捷(せんしょう)は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュ
ースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。
(中略)五月の末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。
途中、ドーヴァーからの汽車の中で対馬沖で日本の大勝利の
記事を読み耽りながら、私はとても上機嫌であった。[5]
・フィンランド大統領パーシキピ
 私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初の
ニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。
 
彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。
彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃された
かを熱狂的に話して聞かせた。
フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のなりゆ
きを追い、そして多くのことを期待した。[6]

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