熊本の祖母が、上京して一年を迎えて帰郷した私に教えてくれたこと

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著者: Shirabo Shirabo







2013年2月22日。

私は二十年余生まれ育った熊本を背に、上京した。
背中に投げかかる声は、その多くが反対する意見だった。
無理も無い。
私は何の予定も、住む場所も、仕事も決めずに上京しようとしていたからだ。
何かから逃げていた訳でもない。
ただただ直感である。根拠のない自身だけがそこにはあった。

熊本の親友たちは
熊本にまだおってよー。行かんでばい。
と私を引き止めた。

母は
まーくん、仕事はどうすっとね?どこに住むと?
と不安がった。

父は
東京を舐めるな!!
と怒鳴った。



そんな中、特別一番私が上京する際に気持ちを揺さぶったのは
祖母だった。
祖母は

行くなら行けばよか。わたしは知らん。

賛成でも反対でもないその無関心な態度が
本当に冷たく感じ、予想外のことに憤りも感じていた。





東京で当ても無くさまよい
お別れ会と称した熊本での呑みで消費した
上京資金の一万九千円弱の資金も
東京の町並みに消え、路頭に迷う。

あっという間にあれだけ誇っていた自信にも羽が生えて飛び去り
私はひとりぼっちになる。
既に帰りたくなった。


仕事もどうにかみつけだし、建築業を始めた。
寮付きということで即決めたし、そもそも財布に嘘はつけない。
仕事を選んでいる場合でもなかったのだ。


面接を受けた後、案内された場所は会社から徒歩2分ほどの
アニメに出そうなボロアパートだった。

今にも崩れ落ちそうなその建物を入り、
一部屋を改装して壁で仕切られた三畳の部屋を見たとたん、
私の心の中の何かも崩れた。
美化された東京のイメージと、
楽しいものが待っているんじゃないかという希望は
部屋のホコリと一緒にまみれた。
なにが腹立たしいかって、エアコンも壁で半分ずつになっていて
隣の森の妖精みたいな男性と暖房を共有せざるをえないことだ。


このころが一番熊本に帰りたいと思う時期だった。
だけど胸に引っかかるのは祖母の言葉だった。

行くなら行けばよか。わたしは知らん。


このままのこのこと帰るのが悔しくて
意地でも帰ってたまるか!
と我慢することが出来た。





東京は人がとても多い。
熊本とは大違いである。
その人の群れの中にいると、何故だろう。
とても孤独になる。





様々な苦労もしてきて、孤独になって、
いろんな経験をしてきて。

逃げ出さなかったのは、不思議なことにあの祖母の言葉だった。


年が明け、2014年2月。

私は一年ぶりの故郷熊本に帰省した。




空港に迎えにきてくれた母と再会した。



熊本の風景を横目に、車で実家に戻りながら家族の話を聞いた。


母も、父も、兄も元気だった。
そして一番気になったのは祖母のことを聞いた。





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