ど田舎にできた高校アメフト部がたった2年で関西大会に出た話(12.体を鍛える13.ヘッドピンをとらえる)

著者: 岩崎 吉男

⒓体を鍛える

 

やがて冬がきた。冬は、オフシーズンだ。

この間は、どこの学校もスタイルをしないで、体力作りに務める時期だ。僕らは、毎日学校から5キロメートル離れた神社へランニングに出かけることにした。

さすがにスタイルはしないが、全員ヘルメットはかぶっている。

「フットボールはヘルメットかぶってするスポーツや。ヘルメットをかぶると見える世界が違う。そやから、ヘルメットをかぶらずに練習しても、本番では役にたたん。いつもヘルメットはかぶっとけ」

U先生が、自慢げにそういったからだ。

僕らは、僕を先頭にヘルメットをかぶって一列になって町の中をランニングする。おまけに、

「オー、オッ、オッ、オッ」

と大きな声を出しながら走るものだから、道行く人がすれ違うたびにもの珍しそうに振り返って見る。

僕らは最初これが恥ずかしかったが、何日かするとだんだんと慣れてきた。すると、とたんに声が大きくなった。

昔ながらの狭い路地の両側に小さな店が肩を寄せ合うように並んでいる商店街を通り抜けて、いよいよ神社に着くと、目の前にある石の大階段をかけ上がる。

「今日もいくで。十往復や」

僕はそういって、階段を先に上り始めた。続いて他の者も上ってくる。

 

この階段は、84段ある。秋の祭りには、町の人々はこの階段を「たいこ」と呼ばれる重さ2トン近くもある屋台を大勢で担いで上る。階段の両側にはうっそうと木が茂り、昼間でも薄暗い。

さすがに5回も上ると、息が切れ、足ががくがくして力が入らなくなる。よほど気を付けないと、下るときに足を踏み外す危険がある。僕らは、顔をしかめながらもくもくと走っている。

この練習で、自然と持久力と根性が付いた。

部員数が少ない三木高校が、部員数の多い都会の学校に勝つには、試合の最初から最後まで走り続ける持久力と根性が必要なのだ。

フットボールはアメリカの合理主義の代表のようなスポーツで、選手の交代は自由。従って、人数の多いチームがだんぜん有利になる。

イギリスが発祥の地である交代の許されないラグビーとの決定的な違いである。僕らは、人数の少なさを無謀にも体力でカバーしようと考えたのだ。

また、体力の他にも、怪我を怪我とは思わない強さもあった。

暴れん坊ばかりを集めたものだから、子供の頃からしょっちゅう喧嘩で殴られており、怪我や痛さには鈍感だった。元ガキ大将にも、いいところがある。

 

 

⒔ヘッドピンを捉える

 

そのころ、フットボール部はまだ同好会だった。同好会だから、高校から部費が出ない。ボールを買うお金すらない。どこのクラブも分け前が減るから、積極的にフットボール同好会を正式な部にする運動はやらない。当たり前のことだが、このままでは同好会のままで終わってしまう。

そこで、同好会を部にする作戦が始まった。

2年生が生徒会の執行部に立候補するのだ。

そして、生徒会でフットボール同好会を部にする決議をする。僕らはそういう作戦を考えた。

あるとき、僕がU先生に

「クラブの承認は学校がするんか」

と尋ねたときに

「いや、あれは生徒会がやっとる」

という答えが返ってきたことがヒントになった。それで、それなら生徒会をコントロールすればいいということになった。

僕らは相談の結果、放送部にI、美化部にM、生徒会議長にY、風紀部にS、文化部にDが立候補した。

無投票当選で生徒会役員の半数をフットボール部が押さえた。むちゃくちゃな結果だが立候補なので、学校も文句はいえない。

 

役員は決まった。ところが、生徒会長には立候補者がいなかった。そこで、学年主任のL先生が僕に目を付けた。L先生は昼休みにこっそりと僕を呼び出して、廊下の隅でいった。

「知っているように生徒会長の立候補者がいない。君にぜひ立候補してもらいたい」

「先生、ごめんやけど、フットボールのキャプテンやからできひんわ。2つしたらどっちも中途半端になると思うから」

「先生、悪いな」

僕はきっぱりと断った。

生徒会長などという地位には、何の魅力も感じなかった。

それより、フットボールで大きな夢を実現したかった。

 

最終的には、他の立候補者が出て生徒会長も決まった。

 そして、計画どおりに、フットボール同好会を正式な部にする議案を生徒会に上程した。生徒会は議長のYにより意図的に進められ、この議案はもくろみどおりに賛成多数で可決された。目出度くフットボール同好会は部に昇格した。

おまけに、部の予算も年間20万円を認めさせ、グランドは、サッカー部から半分奪い取った。この反動で野球部の予算が大幅に減り野球の関係者からはうらまれることになった。野球部は、過去に甲子園に出場したこともある強豪だった。

ついでにIは、放送部長という立場を利用して、昼休みにはいつも放送室で踊りながら「キャロル」のルイジアナやファンキーモンキーベイビーを流していた。さすがにこれには、親分の職権乱用だとみんなは辟易していた。

 

 

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